私が中学生の時、もうすでに小神学校に入っていました。小神学校では週に一度「ゆるしの秘跡」が行われ、神学生はそれぞれ自分が犯した罪をノートに書いて、ゆるしの奇跡に与っていました。今では、ノートに書いていませんが、ゆるしの秘跡の前には、自分が犯した罪、おん父から離れている状態を振り返る時間を持ってゆるしの秘跡を与っています。この【時】をどのように深く、過ごすかということでゆるしの秘跡が深まるのだと思います。
きょうのみことばは、「姦通の罪で捕らえられた女性」の場面です。みことばは、「……朝早く、再び神殿の境内にお入りになった。すると、民衆がこぞっておそばに寄ってきたので、腰を下ろして、教え始められた。」という節から始まっています。イエス様は、「仮庵の祭り」のためにエルサレムに来ていたようです(ヨハネ7・2、7・10参照)。それで民衆は、イエス様のことを知っていたので教えを聞こうとして、おそばに寄って来たのです。イエス様は、腰を降ろして教え始められます。当時のラビが人々に教えるときは必ず座って教え、人々はラビを囲むようにして話を聞いていたようです。
そのような時に律法学者とファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえた女性を連れてきて、真ん中に立たせてイエス様に「先生、この女は姦通をしている時に捕まったのです。モーセの律法の中で、このような女は石を投げつけて殺すようにと、わたしたちに命じています。ところで、あなたはどう考えますか」と言います。彼らは、イエス様を陥れようという口実に、彼女を利用したと言ってもいいでしょう。しかし、律法学者やファリサイ派の人々は、権威もあり人々の上に立つ立場であるにも関わらず、イエス様が人々に教えている場にいきなり来て、イエス様にこのような「裁きの場」を要求して来たのです。
イエス様は、彼らの訴えをお聞きになられ、地面に指で何かを描き始められます。この時、民衆の真ん中に立たされた女性は、自分が犯した罪について振り返っていたのではないでしょうか。彼女も「姦通」は悪いことだと知っていたことでしょうし、見つかったら石を投げられ死刑にされることも知っていたはずです。
しかし、それでも彼女が「姦通」を続けていたのには訳があるのではないでしょうか。例えば、夫とうまくいっていないとか、あるいは、彼女自身の弱さ、満たされない寂しさがあったのかもしれません。イエス様は、そのような彼女の気持ちを知っておられたのでしょう。それで、立っている彼女と目を合わせないようにして、地面に指で何かを描き始められたのかもしれません。
しかし、律法学者とファリサイ派の人々は、そのようなイエス様の気持ちも、彼女の気持ちも考えることなく執拗に問い続けます。イエス様は、身を起こされ「あなた方のうち罪を犯したことのない人が、まずこの女に石を投げなさい」と言われて、再び身をかがめて、地面に何かを描き始められます。彼らにとって、律法は絶対であって、それに背く人を厳しく裁こうとしています。
パウロは手紙の中で「わたしが律法を守り、自分を義とするからではなく、キリストを信じることによって、つまり、その信仰の故に、神によって義とされることによるのです。」(フィリピ3・9)と言っています。パウロは、イエス様に出会う前は、律法学者やファリサイ派の人々のように律法を重んじていました。きっと、回心前のパウロだと、彼女を同じように【裁いて】いたことでしょう。パウロは、【律法】ではなく、おん父に対しての【信仰】による【義】の素晴らしさをイエス様によって知ったのではないでしょうか。
人々は、イエス様の言葉を聞いて、1人、また1人と去っていきます。イエス様の2度目の地面に何かを書かれた【時】というのは、人々に対して自分の罪を振り返る【時】だったのでしょう。また、同時に彼女にとっては、自分が犯した罪を悔い改める【時】だったのです。イエス様は、人々が去って彼女1人が残された時、身を起こされ「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」と尋ねられます。イエス様は、この時初めて彼女を見つめられ、そして愛情を込めて「婦人よ」と呼びかけられます。
彼女は、「主よ、誰も」と答えます。まだ、彼女は「死への怯え」を持っていたのかもしれません。イエス様は、彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない。」と言われます。この時初めて、彼女の心に安らぎと平安、そして、感謝の気持ちで満たされたことでしょう。パウロは「……後ろのことを忘れて前のことに全身を傾け、……神が、わたしたちを上へ招き、与えてくださる賞を得ようとしているのです。」(フィリピ3・13〜14)と言っています。
私たちは、どうしようもなく弱く罪を犯していまいます。それでも、イエス様のアガペの愛によって赦されることを知っています。このことに信頼して、前に向かって歩み、おん父が与えてくださる【賞】を得ることができたらいいですね。