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チリ:宣教開始より78年

 聖パウロ修道会のチリでの設立の構想は、ローマにいたアルベリオーネ神父に、チリ・イエズス会の副管区長であったアルバロ・ペドロ・アルバラド神父を通じて届けられました。アルバラド神父は、すでにパウロ会士たちの活動に触れ、特に出版分野での働きを高く評価していた人物です。

 当初の計画は、サンティアゴに本拠地を構え、バルパライソに支店を持つカトリック出版社「スプレンドル」の運営をパウロ会に委ねるというものでした。この出版社は、1923年にイエズス会のフランシスコ・コレア神父と、サン・イグナシオ学院のマリア会に属する婦人たちのグループによって設立された「カトリック文化協会」の所有物でした。当初は「エフェメリデス・マリアナス」という名で、カトリック書籍の普及を通じ、読者の文化的水準を高め、信仰を育む手立てを提供することを使命としていました。

 こうしてアルベリオーネ神父は、チリへの派遣として、ジュゼッペ・ガブリエレ・コスタ神父(1915–1949)と、マッテオ・ジョヴァンニ・トッファーニ修道士(1912–2023)を選びました。

 彼らは1946年12月3日、イタリアのジェノヴァ港をパナマ船「フィリッパ」に乗って出発し、12月27日にアルゼンチンのブエノスアイレスに到着しました。そこからフロリダの修道院で3か月間の滞在を経て、1947年3月27日、列車でブエノスアイレスを出発。アンデス山脈を越え、メンドーサを経由してサンティアゴへと向かい、2日後の3月28日金曜日、午後11時に到着しました。

 マポチョ駅では、サンティアゴ大司教区が所有する「サン・ホセ黙想の家」の責任者であるラウル・ペレス・オルメド神父が彼らを迎えました。彼らはこの黙想の家に、聖母扶助会の修道女たちのもと、1年以上滞在することになります。

 そして、彼らがサンティアゴに到着した翌日、1947年3月29日――この日が、チリにおける聖パウロ会創立の日として記憶されることとなりました。

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大西德明神父

聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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