「いちじく」は漢字で「無花果」と記します。8世紀ごろペルシアから中国に伝わり、日本にはポルトガル人によって寛永年間(1624年~1644年)に伝わってと言われています。キリシタンに対する取締りや迫害が厳しかった時代ですが、「いちじく」については寛容だったのでしょう。名前の由来は『和漢三才図会』に「俗に唐柿といふ。一月にして熟すゆえに一熟と名づく」と考えられていますが、明確なことは分かっていません。また花が外から見えないことから「無花果」と、当てたとも言われます。そんな背景を持ついちじくですが、さし木をすれば簡単に成長し、一般家庭でも容易に育てることができます。
これらのことを頭に置きながら、今日のみことばを読むととても興味深いものです。かつて私の父はぶどうを栽培していました。ぶどうはとても手入れがたいへんで、春には肥料を施し、初夏には下草を払い、ぶどうの実が成長してくると一つひとつに袋をかけていく。とても手間がかかりました。それに対していちじくを育てるのはとても容易です。今日のみことばによれば、ぶどう園にいちじくを植えているわけですから、普通の土地に比べて肥料がたくさんあります。好条件にあって育たないのは、よほど肥料が少なかったのか、育て方が非常にヘタだったことになります。
主人は園丁に言います。「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ」と。そんなに手入れをしなくても育ついちじくなのに、何にも実をつけないので主人が切り倒したくなるのも分かります。通常なら、切り倒して他の作物をそこに植えるのが順当ではないでしょうか。しかし、主人は園丁の言い分を聞いてもう少し様子を見ることになりました。何と忍耐強い主人でしょうか。忍耐強く見守ってくださる主の支えに、私たちは大きな励みを感じます。