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おうち黙想

砂漠の中で歌う 第4回(全5回):「賛美は戦いの武器」

―困難に立ち向かう武器としての賛美―

 旧約時代のイスラエルの民が、戦いの場に向かうときに先頭に賛美隊を配置したという記述は、常識を超えた大胆な行為です。武具を携えた精鋭よりも先に「歌う者」を立てるという行為は、一見するとまったく非合理的に見えます。しかし、彼らはこれによって神が“先頭”に立って戦ってくださることを象徴的に示したのです。2歴代誌20章にあるこのエピソードは、困難な状況に直面したときの私たちの態度を問いかけてきます。

賛美が持つ霊的な力

 賛美はただの音楽や歌唱ではありません。霊的な視点から見れば、それは“神を神として認める宣言”であり、“自分たちの弱さを超えた力が働くことを期待する態度”でもあります。問題に押しつぶされそうなとき、人はしばしば否定的な思考や恐れに心を奪われ、神への目が曇ってしまいます。しかし、あえて賛美を選ぶことで、恐れではなく神への信頼を口に出して表すことになるのです。
 イスラエルの民が賛美隊を先頭に置いたのは、単なる「戦意高揚策」ではありません。むしろ「戦いは主の手にある」という信仰を目に見える形で示す行為でした。実際、彼らが歌い始めたとき、神は敵軍に混乱をもたらし、イスラエルを勝利に導かれました。ここに“賛美を武器とする”信仰のモデルが提示されています。

賛美と現実のギャップ

 現代に生きる私たちも、大小さまざまな“戦い”を抱えています。人間関係の摩擦、病気、経済的危機、社会的な不安など、日々の生活の中で心が折れそうになることもしばしばあるでしょう。そのようなときに「賛美しなさい」と言われても、素直に受け取れる人は多くないかもしれません。苦しい現実を前に、神への感謝や喜びの歌などまるで空虚に思えるからです。
 しかし、だからこそ賛美が“武器”たり得るのです。それは自分の感情が伴わなくても、口を開いて神をほめたたえることで、意識を“神の大きさ”へ向ける行為だからです。困難を前に萎縮していた心が少しずつ解放され、「そうだ、自分たちの主はあのエジプトの海をも分けられた方だ」という事実を思い出すきっかけになるかもしれません。賛美は、私たちが問題ばかりを注視してしまう視線を、神へと引き上げる力を持っています。

悪しき力に対する霊的抵抗

 聖書の世界では、目に見えない悪しき力との闘いが重要なテーマとなります。暗闇の力は、人間を絶望や混乱に陥れようとしますが、賛美はそうした力に対抗する霊的な“抵抗”の手段でもあるのです。黙示録などでも、神の民は賛美をもって神の勝利を宣言し、獣や偽りの力に対抗します。
 私たちの現代生活においても、ネガティブなニュースや否定的な言葉が氾濫し、ときに心が重く沈んでしまうことがあるでしょう。そのようなときにあえて神の良さや偉大さを口にすることは、暗闇の思考に流されそうな心を方向転換させる行為です。賛美を捧げるとき、神の臨在が深く感じられ、私たちの内面が不思議に強められる瞬間があるかもしれません。

賛美する決断と継続

 賛美は感情が高まったときにだけ行うものではありません。むしろ「苦しみの中でも讃える」という姿勢が求められます。賛美を「武器」として使うには、継続的な“決断”が必要でしょう。調子が良いときだけではなく、絶望しそうなときにも神の御名を呼ぶ。その積み重ねが、次第に私たちの心を神の視点に近づけていくのです。
 また、共同体での賛美も大きな力となります。個人的に落ち込んでいるときでも、教会や信仰の仲間とともに賛美することで、孤立していた心が回復するのを感じられるかもしれません。人間は社会的存在であり、賛美を分かち合うことで互いの信仰を励まし合う効果が生じます。一人きりでは到底出せなかった声も、みんなが歌う中で自然に引き出されるのです。

賛美がもたらす勝利と平安

 イスラエルの民は、実際に神の力によって敵を打ち破る大勝利を経験しました。しかし、私たちの現実では、必ずしもすべての問題が劇的に解決するわけではありません。にもかかわらず、賛美を捧げ続ける意義は何なのでしょうか。一つには、問題の解決以上に、私たちの内面を変える働きがあるからです。
 神に目を向け、神の素晴らしさを思い起こすとき、恐れに押しつぶされていた心は不思議と軽くなることがあります。これは問題の現実が消え去るわけではなくとも、自分の中に「神が共にいてくださる」という平安が芽生えるからです。外側の戦況は変わらなくても、私たちの内なる世界には確実に変化が起きます。そうした変化こそ、“霊的な勝利”とも呼べるのではないでしょうか。

試練と賛美の循環

 私たちが困難に直面するとき、賛美を通して神の力を経験すると、次に試練が訪れてもまた賛美へ向かうという良い循環が生まれます。祈りと賛美が習慣化されると、試練の度に「そうだ、まず神をあがめよう」という反射的な反応が身につくのです。それは決して「問題を軽視する」ことではなく、「神が問題よりも大きい」ことを思い起こす霊的訓練です。
 こうして鍛えられた心は、どんな逆境にあっても動じにくくなります。たとえ結果が思うようにならなくても、「神は決して無駄にされない」という信頼が揺るがないのです。賛美を武器として活用するとは、私たちが人生という“戦いの場”を神とともに歩む姿勢そのものを指しているといえるでしょう。

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大西德明神父

聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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