「X」(ツイター)を見ていたら、「馬小屋の中に幼子イエス様の姿はありませんでしたが、なぜか三人の博士がもう置いてありました」という投稿がありました。良く考えてみると確かにそうですね。私がいる修道院の馬小屋も待降節中は、幼子イエス様の像はありませんでしたが、三人の博士の像は置いてありました。
きょうの典礼は「主の公現」で東方の博士たちが幼子イエス様を拝みに来ることで、ユダヤ人だけではなくすべての人にイエス様がお現れになったということをお祝いする祭日です。イエス様は、私たち一人ひとりにもお現れになられますが、私たちを通して周りの人にもお現れになられるのです。
きょうのみことばは、「さて、イエスが、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、……」という一節から始まっています。「イエスが」というのは、マリア様からお生まれになられた「イエス様」ですが、この名には「神は救う」という意味があって当時の人の名前では一般的な名前だったようです。そのため、福音記者マタイはあえて、この節の前に「ヨセフは眠りから覚めると、主の使いが命じたとおり、彼女を妻として迎え入れた。マリアが男の子を産むまで、ヨセフは彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた」(マタイ1・24〜25)とが記すことによって、この【イエス】がメシアであることを伝えたかったのではないでしょうか。
きょうのみことばは、ヘロデ王の時代に、マリアの子であるイエス様がお生まれになられたことを示すことで、(その)【イエス様】を東方の博士たちが拝みに来るところから始まっているようです。みことばには【東方の博士】と記していますが、この【東方】というのは、バビロンのことを指しているのではないでしょうか。もし、そうだとしたらユダヤ人たちがバビロンに捕囚として連れて行かれていた時、バビロンの人々の中にもユダヤ人たちの信仰によって、何かしら影響を受けた人がいたのかもしれません。
この東方の博士たちは、占星術の学者だったようでが、彼らもまた何かしら影響を受けていたのでしょう。それで、星を観測しているなかで【ユダヤ人の王】を示す【星】を見つけたのでしょう。もしかしたら、彼らもユダヤ人たちの信仰の影響を受けて【メシア】が生まれるのを待っていたのかもしれません。
一方、ヘロデ王と主だったユダヤ人たちは、博士の来訪の理由を聞いてうろたえます。もちろん、ユダヤ人たちにとっては、長い歴史の中で待ち続けた【メシア】がお生まれになったというのは【善い知らせ】のはずなのですが、ヘロデ王は、自分の地位や権力が脅かされるという思いがあったのです。また、王の近くにいたユダヤ人たちは、ヘロデ王によって得た地位や権力が新しく生まれた王によって奪われるのではないか、と思ったのかもしれません。ここに、人々のエゴや執着の怖さ、醜さが表れているようです。
ヘロデ王は、祭司長や民の律法学者たちをすべて集めてメシアはどこに生まれたかを問いただします。彼らは、ヘロデの側近の「有識者」と言ってもいいのかもしれません。みことばには【すべて集め】とありますから、ヘロデはかなり焦り、うろたえていたかが分かるのではないでしょうか。祭司長や律法学者は、「ユダの地ベツレヘムよ、……わたしの民イスラエルを牧するからである」というミカ書に書いてある預言を用いて「ベツレヘムです」と答えます。
ヘロデは、「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、わたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」と行って博士たちをベツレヘムに送り出します。博士たちは、ヘロデの言葉を聞いてどのように思ったのでしょうか。彼らは、素直に「わたしも拝みに行きたいから」という言葉に何か違和感を感じたことでしょう。
博士たちは、バビロンで見た【ユダヤ人の王】を示す【星】が彼らに先立って進み、幼子のいる場所まで来て止まるのを見ます。みことばには「彼らはその星を見て、非常に喜んだ」とあります。もちろん、見失った【星】が自分たちを導いたということもあるでしょうが、それよりも【そこ】に【ユダヤ人の王】がおられるということ、そして、長い旅をしてようやくそのお方に会える、ということを【喜んだ】のです。
彼らは、幼子を礼拝し、宝箱を開けて「黄金」「乳香」「没薬」を贈り物として捧げます。彼らにとって、マリアに抱かれて目の前にいる【幼子】こそが【ユダヤ人の王】であり、主の使いが命じたお告げによってお生まれになった【イエス】であることに喜び、自分たちの高価な贈り物を捧げても惜しまないと思ったのです。私たちは、イエス様が博士たちを通してご自分をすべての人にお現されたことによって、洗礼の恵みを受け信仰生活を送ることができます。私たちは改めて「主の公現」を黙想して、マリア様の腕に抱かれたイエス様を【礼拝】し、私たちの【宝】をお捧げすることができたらいいですね。