2025年、カトリック教会は、25年ごとの通常聖年を祝います。教皇フランシスコが選んだ聖年のテーマは、「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5・5)です。ローマでの聖年の日程は、2024年12月24日~2026年1月6日の「主の公現」の祭日。各教区での日程は、2024年12月29日~2025年12月28日まで。
1 聖年の由来
そもそも聖年は、何に由来するのでしょうか。その起源は、聖書に記されています。旧約聖書のレビ記に記されているヨベルの年です。レビ記25・10に、「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放を宣言する。」それが、「ヨベル(Jobelヘブル語で雄羊の角)の年である」と記されています。この年には、畑や家畜を休ませます。そして弱い立場の人びとに解放を告げます。ヨベルの年は、赦しと和解をもたらす神のいつくしみと憐れみを思い起こす聖なる年でありました。
新約聖書で、イエスは「主の恩恵の年を宣べ伝える」(イザヤ61・1~2)ために来られ、古代のめぐみの年を完成させる方として描かれています。めぐみの年が、「聖年 」と呼ばれる理由は、これをきっかけに、信仰生活のいっそうの聖化を目指すからです。
カトリック教会固有の行事である聖年は、罪の赦し、和解、そして秘跡による悔い改めの年です。紀元1300年、時の教皇ボニファチウス八世(1294~1303年)が、カトリック教会で初めて、免償を伴う聖年を制定しました。
それ以後、聖年は、百年ごとに実施されています。聖年に当たる年、使徒たちゆかりのローマの四つの大聖堂(サンピエトロ大聖堂、サンタマリア マッジョーレ大聖堂、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂、城外の聖パウロ大聖堂)に参詣し、ゆるしの秘跡を受けて聖年の門をくぐった信者は、罪の赦しと全免償が与えられると定められました。しかし百年に一度では、多くの信者がこの恩恵に浴せません。そこで現在では、25年ごとに聖年を祝います。これが、通常の聖年です。これとは別に、教皇が定める任意の特別聖年があります。
2 「希望は、わたしたちを欺くことがありません」
「今や新たな聖年の時が訪れ、ふたたび聖なる扉が開かれます。すべての人は、神の愛を生き生きと体験するよう招かれます。心のうちにキリストの救いへの確かな希望が湧き起こります」。教皇フランシスコは、大勅書で聖年を宣言しました。
キリスト信者は「希望にあふれて」、神の愛の証し人にならなければならないと、教皇は強調します。その希望を信者たちが目に見えるしるしとして示すには、子を産み、移住者を歓迎し、受刑者を訪ねて、平和のために働き、死刑に反対すること、若者たちの就業を助けて、貧困国に対する債務を放棄し、煉獄の魂のために祈り、食料支援への軍需費の転用が求められています。
3 神の恵みと希望のしるし
世界は戦争や分裂、環境破壊や経済危機に見舞われていて、希望がかなう見込みは薄いように思えてしまう。それでも、「キリスト教的な希望は欺くことも裏切ることもありません。何事も、そして誰も神の愛から私たちを引き離すことはできないという確信に基づいているからです」。
平和への切望やイエスとの結び付きを願う思い、環境への関心の高まりは、すべて、まだ希望があるしるしに他ならないと、教皇は強調します。「若い人たちが子を産んで、自分たちの愛の実りのしるしとしたいとの願い」はもう一つの希望のしるしであり、「あらゆる社会の将来を確かにするものです」。
4 受刑者と青年移住者に希望を
教皇フランシスコは、大勅書で、たんに自分たちの希望への意識を高めることだけを求めていません。「あらゆる苦難を体験している多くの兄弟姉妹のために、確かな希望のしるしとなること」をも呼びかけています。
教皇は、希望を必要としている人びとの筆頭に受刑者たちを挙げています。刑務所で聖なる扉を開く意向を示しています。教皇は、全世界の政府に対して、聖年の恩赦や赦免を検討するよう求め、刑期を終えた人の社会復帰をさらに積極的に支援するよう促しました。
また、より人間らしい生活を求めて母国を後にする移住者たちも、希望を抱き続けるための支援を必要としていると、教皇は強調します。「移住者たちの期待が偏見や排斥によってくじかれることがあってはなりません」と、教皇は訴えます。
教皇は、前回の特別聖年に続いて、今回の聖年でも、ローマを訪問できない信者のために、各教区に巡礼聖堂の指定を求めました。一定の条件を満たす参詣者は、罪の赦しと全免償を受けられます。25年に一度の好機です。ぜひご自分の教区の巡礼指定教会を訪問してみてください。