序)ミサの典礼で、私たちはキリストを崇めるしるしとしてひざまずいたり頭を深く下げたりすることなどによって、パンとぶどう酒の形態のもとに現存されるキリストへの信仰を表します。
1 聖体礼拝の歩み
*「カトリック教会はこれまで、聖体の秘跡に対する礼拝をミサの間だけではなくミサ外でも行ってきましたし、現在も行っています。聖別されたホスチアを注意深く保存し、おごそかに信者の崇敬の対象とし、民衆が喜ぶ中でそれを行列しながら運ぶのです」。
2 聖櫃
*聖体を保存するための聖櫃はまず、ミサに出席できなかった病人などにミサあとに聖体を持参できるように、そのときまでうやうやしく安置するためのものでした。しかし、聖体におけるキリストの現存に対する信仰が深められるにつれて、教会はパンの形態のもとに現存するキリストを沈黙のうちに礼拝する意義をますます理解するようになりました。したがって、聖櫃は教会堂の特別にふさわしい場所に置かれなければなりませんし、同時に、聖体にキリストが真実に現存されることが明白に表されるような形で作られる必要があります。
3 キリストの現存
*キリストがこの比類のない仕方で教会に常に現存することを望まれたのは、まったく当然です。キリストは、目に見える姿では弟子たちから去られましたが、私たちのもとに秘跡的に現存することをお望みになりました。また、私たちの救いのために十字架上でご自分をささげるにあたり、ご自分のいのちを捨てるまでに私たちを「この上なく愛し抜かれ」(ヨハ13・1)、その愛を思い起こさせる形見を私たちに残そうと望まれました。キリストは、私たちを愛し、私たちのために身をささげられた方として、エウカリスチアによる現存という形をとって、その愛を表し、共有するしるしのもとで、私たちの間に神秘的にとどまっておられるのです。
*「教会と世界は聖体の礼拝を大いに必要としています。私たちは、信仰にあふれた礼拝と観想において、世界の大きな過ちと罪を償う心構えで、イエスに出会うためには、時間を惜しんではなりません。私たちのこの礼拝が、決して途絶えることがありませんように」。
4 聖体への祈り
*キリストの真のからだと真の血の現存について、聖トマス・アクィナスは、「感覚によってではなく、ただ神の権威に支えられた信仰によってのみ把握される」と述べています。
*聖チリロは、「これはあなたがたのために与えられる私のからだである」(ルカ22・19)のことばを解釈して、「真であるか否かを問わず、むしろ、主のことばを信仰をもって受け入れなさい。真理であるかたは偽りを話されません」と、表現しています。
*Adoro Te devote の祈り(訳詞)
➀これらの形の下に隠れてはいても、
現存する神であるあなたを、わたしはひれ伏して礼拝します。
わたしの心をまったくあなたに従わせます。
あなたを見つめていると、なすべきことがわからないからです。
②視覚も触覚も味覚も、あなたを把握できません。
聴覚だけによって信ずることがわかるのです。
わたしは、神の御子が語られたすべてのことを信じます。
真理であるかたのことばにより真実なものは何もないのです。