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おうち黙想

『うつ』と共に歩む待降節 第2回(全4回):「孤独を通して深くつながる」

前回の黙想では、私たちが抱える「闇」を、イエスが生まれたベツレヘムの夜の闇と重ねて考えました。闇は単なる絶望ではなく、新しい光が生まれる場であると信じることができる時間です。今回は「孤独」というテーマを深く考えてみましょう。特に、うつを抱える中で感じる孤独と、イエスが生まれた時の状況にある孤独とを重ねて黙想し、その意味と希望を見つけていきます。

1. 孤独とは何か—心に押し寄せる静寂の波

孤独という言葉には、人それぞれ異なる体験が含まれます。人々と一緒にいても、心の中で感じる孤立感や、自分が周囲に溶け込めないという感覚、また大切な人を失った悲しみの中で味わう孤独感。特に、うつを抱える時、この孤独は時にすべてを飲み込むような存在になります。自分の声が誰にも届かず、周囲の声も遠く感じられる。どれだけ支えられても、その支えを実感できないこともあります。孤独は時に、周りから自分が切り離されていると感じさせ、何をしても埋められない虚無感をもたらします。

しかし、この孤独の体験には霊的な意味が含まれていることがあります。孤独は単なる苦しみではなく、自己と向き合い、神と新たにつながるための「場」として捉えることもできます。待降節のこの時期、私たちは孤独と共に生きながら、それを神との深い交わりのための時間と見ることができるのです。イエスが生まれたベツレヘムの夜も、まさにそのような孤独とつながりの象徴でした。

2. ベツレヘムの夜—孤独の象徴と神のつながり

イエスが生まれた夜、ベツレヘムは静まり返り、誰も救い主の到来を知りませんでした。マリアとヨセフは旅の末、宿を見つけることができず、家畜小屋で新しい命を迎えることとなりました。この場面は、孤独の中で希望が芽生える象徴的な出来事です。彼らが味わった孤独は、物理的な空間の孤立だけでなく、社会的な孤立や疎外感をも表しています。誰にも知られず、誰にも受け入れられない状況で、神は静かに働き、救い主を世に送りました。

この出来事は、私たちの孤独に光を投げかけます。孤独は、私たちが自分自身と向き合い、神とのつながりを新たに築くための時間です。ベツレヘムの夜に神が選んだのは、賑わいの中ではなく、静かな孤立の場でした。そこにこそ、神の意図と希望が込められていたのです。私たちの孤独の中にも、同じように神が働かれています。孤独は決して無意味な時間ではなく、新しい命やつながりが生まれる土壌なのです。

3. うつを抱える中での孤独

うつの状態にある時、孤独は痛みを伴うものです。周囲の声が届かず、心の中の孤立感に押しつぶされそうになることがあります。日々の出来事や人との関わりすらも意味を失い、自分がどこにも属せないと感じることがあります。どれだけ周囲が支えようとしてくれても、その支えを実感できず、むしろ孤立が深まることもあります。このような状況の中で、私たちは孤独とどのように向き合えばよいのでしょうか。

まず大切なのは、孤独を否定するのではなく、受け入れることです。孤独は私たちの一部であり、それを切り離すことはできません。むしろ、孤独の中で神が共にいてくださることを信じ、孤独を通して神とつながることを意識することが重要です。イエスが荒野での試練を受けた時や、ゲッセマネの園で祈りを捧げた時も、深い孤独の中にありました。しかし、そこで彼は神とつながり、新しい力を得たのです。孤独はただの試練ではなく、神との交わりを深めるための特別な時間でもあるのです。

4. 孤独を通してつながる黙想

孤独を感じる時、私たちは自分自身の価値や存在意義を見失いがちです。しかし、その孤独の中で神がともにいてくださることを信じ、黙想を通してつながりを感じることができます。以下の手順で黙想を行ってみましょう。

1. 静かな場所を選び、目を閉じる
静かな場所に座り、目を閉じて深呼吸をします。ゆっくりと息を吸い、吐きながら、自分の中にある孤独を感じてみます。孤独は恐れや悲しみを伴うかもしれませんが、それを無理に消そうとせず、ただその存在を受け入れます。
2. 孤独を神に差し出す
「神よ、私の孤独をあなたに捧げます。この孤独の中であなたとつながることができるように助けてください」と祈ります。言葉にすることが難しい場合は、ただ心の中で神に自分を委ねる気持ちを持つだけでも構いません。神は私たちの言葉にならない思いをも受け入れてくださいます。
3. 沈黙の中で神を感じる
祈りの後、何も求めず、ただ沈黙の中で神とともにいる時間を持ちます。孤独を感じる時も、神がともにいてくださることを信じ、心の静けさを保ちます。この沈黙は、神とのつながりを深めるための大切な時間です。
4. 孤独の中に光を見つける
黙想の中で、自分の孤独を受け入れるとともに、そこに差し込む小さな光を見つけるように意識してみます。それは具体的な形ではなくても、心の中に感じる安らぎや、神がともにいるという安心感でもかまいません。孤独の中で見つけた小さな光を、大切に抱きしめてください。

5. 待降節の孤独を超える

待降節の期間中、私たちは孤独を抱えながらも、新しい光が訪れることを待ち望みます。孤独は決して私たちを孤立させるためのものではなく、神とのつながりを深めるための特別な時間です。イエスがベツレヘムの夜に孤独の中で生まれたように、私たちの孤独の中にも神がともにいて、新しい希望をもたらしてくださるのです。孤独を恐れるのではなく、その中で神とともに歩む勇気を持ちましょう。

イエスが祈りの中で示したように、孤独は神とつながるための道です。孤独の中で心が疲れた時も、神がそばにいてくださることを信じ、黙想を通じてつながりを深めていきましょう。待降節のこの時期、私たちが孤独の中で神とのつながりを見つけ、光を迎える準備を進めることができますように。次回の黙想では、「ノイズの中で神の声を聞く」というテーマで、さらに心の深まりを目指していきます。

孤独を通じて深くつながること、それが私たちの心に新しい光をもたらす道となるのです。孤独を抱きしめつつ、神の存在を信じ、共に歩んでいきましょう。

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