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みことばの響き

寛大さ 年間第32主日(マルコ12・38~44)

 一人の貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を献金します。この銅貨二枚の価値は今で言えば100円くらいでしょうか。100円とするなら、自動販売機で500ccの水を買うのと同じくらいの感覚です。私たちの生活からすると、ささやかな値ですが、このやもめにとっては生活の全てでもある値でした。ケチ臭い私だと、銅貨の一枚は献金しても一枚は自分の生活のために手元に残したいのが心情です。しかし、このやもめは全てを入れることで神様を愛する心、自分にとって何が大切なのかをよく理解していたのではないでしょうか。

 最近、長崎の教会を世界遺産にしようとする動きがあります。もちろんそこには賛否両論ありますが、実際に長崎の教会を見て思うのは、「自分たちの教会」という感覚が根付いています。それはおじいさんや曾祖父の時代に教会を建てるために自分たちも木を切り出したり、レンガ造りのために土をこねたり焼いたり…。教会を建てるために、単にお金を出すだけでなく、自分の労力を捧げたからこそ愛着があるのではないでしょうか。まさに手造りの教会とも言えます。そんな中、信者たちの生活はとても貧しいものでした。それでも生活の中心に教会があり、そのためにはお金や労力を惜しまない。惜しみなく与える愛が自然に成長していったのではないでしょうか。その結実が教会の建物とも言えます。

 漁師たちは豊漁であれば、神様への感謝の気持ちで教会に献金する。農家の人たちは作物がたくさんできれば、やはり神様への感謝の気持ちで教会のために献金する。彼らには貧しくても、何を優先するかがしっかり根付いているように思います。また神に信頼する心が自然に身に付いていたのではないでしょうか。

 寛大な気持ちでささげていく。今日のみことばはそのことを教えてくれます。

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