目が見えないというのは、生活の上で不自由ですが、さらに物乞いとなると不自由さもさらに増すのではないでしょうか。今日のみことばでは、盲人バルティマイを癒す話ですが、彼のふだんの状況が目に浮かぶかもしれません。自分でも情けないと思うことが多かったことでしょう。
彼は「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びます。しかも周りが叱りつけても叫び続けます。彼にとって、イエスに出会うことはもう二度とないと思ったのでしょう。心からイエスに出会いたいという切なる思いが彼にはありました。
するとイエスは「あの男を呼んで来なさい」と言います。盲人は喜びいさんで上着を脱ぎ捨て、イエスの所へ行きます。盲人は物乞いなので、とても貧しい生活をしていました。大事な上着を投げ捨ててまでもイエスに従っていこうとします。彼にとってイエスとの出会いは、何ものにも代えがたい出来事だったのでしょう。生活の全てを捨ててでもイエスに従おうとします。物惜しみない心に感動を覚えます。一般常識で考えると、自分にとって欠かすことができないものを捨てることは難しいものですが、盲人はそれをすることができました。
やがてイエスの計らいにより、目が見えるようになり、イエスに従っていきます。イエスに従うことは十字架の道です。エルサレムへの旅の始まりは十字架につながっています。盲人は十字架の道ではあっても、イエスに従いたいとの切なる思いがありました。
私たちもこの盲人のように、イエスに従う「道」の在り方を学んでいきたいものです。そのためには、まず捨てることの勇気が求められるのではないでしょうか。