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みことばの響き

素朴な信仰 年間第23主日(マルコ7・31~37)

 イエスは異邦人の地でもあるティルスやシドンなどを回り、ガリラヤに戻ってきます。ガリラヤそのものが異邦人の地であるので、エルサレムとは状況は違っています。そんな地方で、人々は耳が聞こえない人や舌の回らない人たちを連れてきます。おそらく多くの人々からは相手にされない人々だっただけに、彼らもイエスの前に出るには勇気が必要だったでしょう。ただ彼らには、イエスなら何とかしてくれるという素朴な信仰がありました。

 イエスの癒し方はとても不思議です。指を両耳に差し入れ、唾をつけてその舌に触れる方法は、現代の医学で考えたら、とても奇妙に思うでしょう。古代世界では、唾は医薬品の役割を果たすこともありました。ギリシア、ローマ、ユダヤでも唾をつけるのは、治療の効果があると考えられていました。そう言えば、私が小学生の時、草刈りなどをして切り傷を負った時、父が唾をつけて治療してくれたのを思い出します。今考えてみれば、効果的だったか疑わしいところですが、その治療方法で不思議と治った気もします。

 こうした動作で興味深いのは、癒される人が疑いを持っていないことです。「そんな方法では治らないよ」と、現代の私たちは言いたくなりますが、病人のほうは素直にイエスの行動を受け入れています。この行動を見る時、私たちにとっての素朴な信仰が求められるのではないでしょうか。

 イエスはこの癒しについて口止めをされますが、癒された人はますます話すようになります。マルコ福音書には、「秘密を守らせる」ケースが数多く出てきますが、それはかえって福音が広がっていきます。私たちの場合、「ここだけの話だけど」というと、けっこう広がったりするけれど、それに似た人間の心情をよく使ったものではないでしょうか。

 素朴な信仰、福音宣教の具体的方法が、今日の個所から見えてきます。

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