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カトリック入門

第172回 時課の典礼(教会の祈り)【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

序)「時課の典礼」は、以前、「聖務日課」と呼ばれていました。これはラテン語で、Liturgia horarumと表現し、「時課の典礼」を言います。ラテン語の言葉を直訳すると、「時間の典礼」ということになるでしょう。
 日本語の「教会の祈り」の説明の中で、「一日を時間割にして、つまり日常生活の中で、神を賛美する公の祈りの面が表されることになったが、日本語では『教会の祈り』と呼ぶことによって、司祭・修道者など特定の人々のためのものではなく、神の民みんなの祈りであることを表すことになった。本書が多くの信者にとって祈りの書となるようにとの期待が込められている」と記されている。
 「教会の祈り」というと、「朝の祈り」「晩の祈り」と共に、「読書」「寝る前の祈り」などがあるが、「昼の祈り」として三時課、六時課、九時課がある。これらの祈りは、観想生活を送る方々がよく唱えている。三時課は午前九時、六時課は正午、九時課は午後三時を意味する。
 例えば、イエスの死の場面で、「さて、正午(六時課)から、闇が全地を覆い、三時(九時課)まで続いた」(マタイ27・45)と記されているように…。

1 時課の典礼の意義
*感謝の祭儀、とくに主日の集会で、私たちが祝うキリストの神秘、その受肉と復活は、時課の典礼、「聖務日課」によって、毎日の時間にも浸透し、これを聖化させます。「絶えず祈るように」という使徒の勧めに忠実に従って行われるこの典礼は、「神への賛美を通して昼夜の全過程が、聖とされるように構成されています。時課の典礼は「教会の公の祈り」です。
*時課の典礼は、神のすべての民の祈りとなるべきものです。この祈りによって、キリスト自身が「この祭司職を、ご自分の教会を通して継続しておられます」。各自は教会でのそれぞれの役割と自分の生活事情とに従ってこれに参加します。すなわち、司祭は熱心な祈りと神のことばの奉仕とに努めるよう召されているので、司牧の務めに専念する者として、修道者は奉献生活のカリスマに生きる者として、すべての信徒はそれぞれの可能性に応じて参加します。
*時課の典礼を果たすためには、祈る心を込めて声を出すことだけではなく、「典礼と聖書、とくに詩編についての、より豊かな知識」を身につけることも必要です。

2 時課の典礼の神秘的意味
*時課の祈りに含まれている賛歌と連願は、詩編の祈りを教会の時の中に挿入して、一日のそれぞれの時刻、あるいは典礼季節、当日の祝日の象徴的意味を表します。さらに、各時課での神のことばの朗読と答唱、ある時課での教父や霊性の師の著作の朗読は、祝われている神秘の意味をいっそう深く明らかにし、詩編の理解を助け、念祷の準備ともなります。こうして神のことばが朗読され黙想されて祈りとなる聖書朗読が、典礼の中に根を下ろすようになります。
*時課の典礼は、感謝の祭儀の延長のようなものですが、神の民の多様な信心業、特に聖体礼拝や聖体賛美式を排除しないばかりでなく、より豊かなものにします。

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