序)祈りの最後に「アーメン」と唱えます。
*使徒信条は、聖書の最後の書と同じく、ヘブライ語の「アーメン」で終わります。この語は新約聖書の祈りの結びに頻繁にみられます。同じように、教会も「アーメン」で祈りを結びます。
1 アーメンとは?
*ヘブライ語の「アーメン」は、「信じる」と同じ語源から派生しています。この語源には、堅固さ、信頼性、忠実という意味合いが含まれています。だから、「アーメン」という語は、私たちに対する神の忠実と神への私たちの信頼とを表す際に使われるのです。
*預言者イザヤの書には、「真実の神」、文字通りでは「アーメンの神」、すなわち約束に忠実な神という表現が出ています。「この地で祝福される人は、真実の神によって祝福される」(イザヤ65・16)のです。キリストはしばしば、「アーメン」の語を用い、時には、重ねて二度言われました。ご自分の教えの信頼性、神の真実に基づいたご自分の権威を強調されたのです。
2 信条の「アーメン」
*信条の最後の「アーメン」は、冒頭の語「わたしは信じます」を追認しているわけです。信じるとは、神のことば、約束、おきてに「アーメン」ということにほかなりません。限りない愛、完全な忠実の「アーメン」である「神にまったく信頼することです。ですから、キリスト者の日常生活は、洗礼の時の信仰宣言のあの「私は信じます」への「アーメン」になるでしょう。
(一つの言葉)
「あなたの信条が、あなたにとって一つの鏡であってほしいと思います。その中で自分の姿を見つめてください。信じていると宣言しているすべてのことを、本当に信じているかどうかを見るためです。また、毎日、あなたの信仰を喜びとしなさい」。
3 聖書の中で
*イエス・キリストご自身が「アーメン」です。(黙示3・14参照)。私たちに対する御父の愛の決定的な「アーメン」なのです。そして、御父への私たちの「アーメン」を引き受け、成就なさいました。「神の約束は、ことごとくこの方において『然り』となりました。それで、私たちは神をたたえるために、この方を通して「アーメン」と唱えます。」(二コリ1・20参照)
*ミサの中で
「キリストによってキリストとともにキリストのうちに、
聖霊の交わりの中でと
全能の神、父であるあなたに、
すべての誉れと
栄光は、世々に至るまで
アーメン。」