すべての信徒が祭司であるという指摘は一ペトロ2・5と2・9、黙示録1・6などに明記されています。
「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。」(一ペトロ2・5)
「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。」(黙1・6)
ご存知のように、ユダヤ教においては、レビ族の者だけが祭司となる資格を持ちます。したがって、イエスもパウロも祭司となる資格を持ちませんでした。にもかかわらず、パウロは自分が祭司の役を果たしていると言います。
「私は神の福音のために祭司の役を務めています。それは、異邦人が聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためです。」(ローマ15・16)
ここで注目したいのは、パウロが祭司の役と呼ぶものが、異邦人に福音を告げることであり、パウロのささげ物は、福音を信じる異邦人であることです。祭司と言いながらも、その職務内容は全く新しくされています。
このような「新しい祭司職理解」は、イエスに始まっていると考えられます。最後の晩餐のお言葉に注目しましょう。
「この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい」(一コリント11・25)。
ここでは旧約の祭儀を踏まえながらも、全く新しい祭儀が示されています。イエスによって、動物の血の祭儀は終了し、代わってぶどう酒が採用されます。
ここではイエスが祭司です。これは全く新しいことです。ユダヤ教の祭司の規定を乗り越えて、イエスは祭司として、新しい祭儀を命じたのでした。
この点を強調したのが『ヘブライ人への手紙』です。そこではイエスこそが真の大祭司であること、イエスの祭司職は、伝統的な祭司職ではなく、伝統を超えた「新しい祭司職」であることが強調されています。
すべての信徒が祭司であることの根拠は、このキリストの祭司職にあります。すべての信徒はキリストの体に組み込まれていますから、キリストの神秘体としてキリストの祭司職に与かります。この意味ですべての信徒は祭司です。