司祭は、ミサの閉祭の祈りの祝福の後に、「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」という派遣の祈りを唱えます。その祈りに応えて会衆は、「神に感謝」と唱えます。洗礼の恵みを頂いた私たちは、この派遣の祈りを何度も聞きましたし、「神に感謝」という言葉も何度も唱えています。私たちは、この言葉をただ単にミサの式文の一つとして唱えるだけではなく、喜びを持って福音を宣べ伝えることができたらいいですね。
きょうのみことばは、復活されたイエス様が天に昇られる場面で、マルコ福音書の『補遺』に書かれています。この『補遺』では、マグダラのマリアが弟子たちに「復活したイエス様に出会ったこと」を告げる場面と、2人の弟子がイエス様に出会ったことを告げる場面が描かれています。しかし、弟子たちは、彼らのいうことを信じることができませんでした(マルコ16・9〜13参照)。きょうのみことばに入る1節前に、「その後、彼ら11人が食卓に着いている所にイエスは現れ、その不信仰と頑なな心をお咎めになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16・14)とあります。このみ言葉の後に、「それから、イエスは仰せになった、『全世界に行き、造られたすべてのものに福音を宣べ伝えなさい。』」という派遣の言葉があるのです。
さて、ここで注目したいことは、イエス様が「弟子たちの不信仰さと頑なな心をお咎めになった」後に、彼らを【派遣】されているということです。弟子たちは、イエス様と長い間生活をし、イエス様が復活されることを聞いています。それにも関わらず彼らは、イエス様が実際に十字架に架けられ亡くなられたのを見ると、イエス様が「復活」すると言われたことを信じることができなかったのです。そのような弱い信仰の彼らに対してイエス様は、「全世界に行って……福音を宣べ伝えなさい」と言われたのです。このみ言葉は、洗礼の恵みを頂いた私たち一人ひとりに対しても言われている言葉なのです。私たちの信仰は、まだまだ完全なものではありません。しかし、イエス様は、そのような弱い私たちに「全世界に行って……福音を宣べ伝えなさい」と言われるのです。
さらにイエス様は、弟子たちが福音を宣べ伝えてご自分のことを信じた人たちがどのような【徴】を伴うかをお示しになられます。イエス様は、「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉で語る。……病人に手を置けば、病人は回復する」と言われます。このことは、イエス様が、宣教される中で人々に行ったことでした。イエス様は、病人や悪霊に憑かれた人たちを癒されました。そして、「イエスが律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」(マルコ1・21)とありますように、人々に教えられました。
み言葉の中に「蛇をつかみ、毒を飲んでも、決して害を受けず」とありますが、「蛇」はイエス様に対して反対する人たちのことを指し、「毒」というのは、反対者からの影響のことを表しているのではないでしょうか。イエス様は、律法学者やファリサイ派の人々に対して彼らからの行いを厳しく批判し、彼らがイエス様を陥れるような試みに対しても惑わされることなく応えられました。イエス様は、このように弟子たちを通してご自分を信じた人たちがどのような【徴】を行うかを告げられたのです。
イエス様は弟子たちに【派遣】の言葉を伝えられた後に、天に上げられ、神の右の座に着かれます。ここでイエス様は、ご自分がこれまでなさってきたことを弟子たちにバトンタッチされたのでした。弟子たちは、イエス様が【天に上げられた後】、至る所で福音を宣べ伝えます。彼らは、イエス様が復活したことを信じることができないような、不信仰で頑なな心であったにも関わらず、なぜ、イエス様が【天に上げられた後】に福音を宣べ伝えることができたのでしょうか。それは、イエス様が「弟子たちとともに働き、徴を伴わせて、弟子たちの言葉を確かなものとされた」からなのです。このみ言葉は、私たちに勇気と希望を与えるものです。イエス様は、洗礼の恵みを頂いた私たちが福音を宣べ伝える時いつもともに働いておられるのです。
きょうのみことばの後に短い『補遺』が描かれてあります。そこには「イエスご自身、彼らを通して、聖なる朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、陽の昇る所から陽の沈む所まで送り出された」とあります。ここでも、イエス様は弟子たちとともに働かれておられることを私たちに示されています。さらに、その働きというのは、「陽の昇る所から陽の沈む所まで」という【全世界】にまで及ぼされているのです。
私たちは、初代の弟子たちをから現代の弟子たち(洗礼の恵みを頂いた人たち)がイエス様の福音を宣べ伝えたことによって、洗礼の恵みを頂きました。私たちは、彼らのように「いつもイエス様が私たちとともに働いておられる」ことを信じ、イエス様に委ねながら福音を宣べ伝えることができたらいいですね。