*聖霊降臨は、「ペンテコステ」と表現されます。ギリシア語の言葉で、「ペンテ」は5,「コステ」は10。5×10=50。五旬祭とも表現されます。
主の復活から50日目にお祝いします。
五旬祭は、過越祭、仮庵祭とともに三大祭の一つ。この祭りには、イスラエル人はみな、神殿に参詣する義務があったので、「巡礼の祭り」とも言われた。
1 バベルの塔との関り
*創世記11章に「バベルの塔」の話が出てきます。初めのところで、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」(創世記11・1)と記されています。
ところが、人々は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(同11・4)とします。主は、こうした人間の傲慢を見て、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(同11・6~7)と。
*こうして彼らはこの町の建設をやめ、町の名はバベルと呼ばれた。主はそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、主がそこから彼らを全地に散らされた。(同11・8~9)
*人々はお互いの言葉が分からなくなった。
2 聖霊降臨の出来事
*五旬祭の日が来て、みなが一つになって集まっていた。その時突然、天から激しい風が吹いてくるような音が起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡り、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上に留まった。すると、みなは聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国のさまざまな言葉で語り始めた。(使徒2・1~4)
*バベルの塔での人間の傲慢を、聖霊が降ることによってお互いを理解できるようになった。
*聖霊降臨の日に、キリストの過越は、聖霊の注ぎで完成します。そのとき、聖霊は神のペルソナとして現れ、与えられます。この日、主であるキリストはその満ち溢れるところから、霊をあふれるほどに注がれます。
*聖霊降臨の日から、キリストによって告げ知らされた神の国は、キリストを信じる人々に開かれます。彼らは人間としての弱さを持ちながら、信仰によって三位一体の交わりにあずかります。聖霊は絶えず訪れ、教会の時代、神の国に導き入れます。
*聖霊の力によって、実を結ぶことができます。私たちを真のぶどうの木に接いでくださった例は、わたしたちに「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラ5・22~23)の実を結ばせてくださいます。
3 聖霊の賜物
*1830年から1832年のカトリック教会の教えとして使われていたことですが、聖霊の7つの賜物というのがあります。昔、公教要理で暗記させられました。
1 上智(知恵)
2 聡明(理解)
3 賢慮(判断)
4 剛毅(勇気)
5 知識(神を知る恵み)
6 孝愛(神を愛する恵み)
7 敬意(神を敬う恵み、主への畏敬)
*聖霊の恵みを味わい、感じ取ってみましょう。