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カトリック入門

第148回 主の昇天【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

*主の昇天については、三つの記事を取り上げることができる。
 「主イエスは弟子たちに語り終えると、天に上げられ、神の右の座に着かれた。弟子たちは出かけていき、至る所で福音を宣べ伝えた。主は弟子たちと共に働き、徴を伴わせて、弟子たちの言葉を確かなものとされた。」(マルコ16・19~20)
 「イエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れていき、両手を上げて彼らを祝福された。そして祝福を授けられながら彼らから離れ、天へと挙げられて行かれた。弟子たちはイエスを礼拝した後、大きな喜びのうちにエルサレムに帰った。そして、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(ルカ24・50~53)
 「こう語り終えると、イエスは死とたちの見ているうちに上げられた。一群(ひとむら)の雲がイエスを包んで、見えなくした。イエスが昇って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣をまとった二人の人が彼らのそばに立って言った、『ガリラヤの人たちよ、なぜ、天を仰いで立っているのか。あなた方を離れて天に上げられたあのイエスは、天に昇るのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう』」。
*昇天に関する記事ですが、味わい深いものがある。

1 昇天についての描写
*昇天するイエスを見ながら、弟子たちはどのように思っただろうか。これまで種々の場面でイエスがいたので、頼りがいがあったが、これからは独り立ちしなければならない。不安もあったのではなかろうか。
*40日の間、復活されたイエスの栄光が覆われていたことは、マグダラのマリアへの神秘的なことばからうかがい知ることができる。「わたしはまだ父のもとに登っていない。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父であるかた、またわたしの神であり、あなたがたの神であるかたのところへわたしは上る』と」(ヨハネ20・17)昇天は歴史的出来事であると同時に超越的な出来事であって、一方から他方へ移ったことを示す。
*「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せる」(ヨハ12・32)。イエスが十字架上に上げられることは天に上げられることを示し、また、それを予告している。
*イエス・キリストは、「人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今はわたしたちのために神のみ前に現れて」(ヘブ9・24)くださいました。天にあって、キリストはつねにその祭司職を果たされます。

2 御父の右の座
*キリストは、御父の右の座に着いておられます。「御父の右の座とは、神としての栄光と誉れの意です。永遠から神の御子として、また御父と同一実体の神として存在しておられたが、人となられ、その肉体が曳航を受けられた後は、からだをもってそこに座しておられるのです」。
*御父の右に座に着かれたことはメシアの治世の始まりであり、「権威、威光、王権を受けた。諸国、諸属、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」(ダニ7・14)という、人の子に関する預言者ダニエルの言葉の実現です。

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