「福音」のことをギリシア語で「エワンゲリオン」(単数形)と言います。古代ギリシアにおいては、もともと複数形の「エワンゲリア」が使われ、誕生、結婚、記念日などとつながった喜ばしい知らせ、便りを表現していました。ところが、キリスト者たちは復活したキリストのために「福音」、つまり「喜ばしい便り」「よい知らせ」として「エワンゲリオン」と単数形で使うようになります。喜ばしい知らせ、便りでも、異教徒とキリスト者とでは、意味内容を異なるものとして表現したのでしょう。
さて福音の中で、「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1・1)ということばから始まります。復活したキリストが、私たちにとって神の子であり、福音の原点とも言える表現でしょう。
このことばの後、イザヤ書を用いて次のように語ります。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。(中略)『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」と。よい知らせの始まりとして、洗礼者ヨハネを取り上げます。彼はキリストを準備していく方で、「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(マルコ1・6)とあります。ラクダの毛衣というと高級な毛皮をイメージしがちですが、その当時ではベデウィンの服で極めて粗末なものでした。また腰に革の帯をすることも質素な身なりを意味し、その典型的な人としてはエリアの姿を思い浮かべることができます。さらに「いなごと野蜜」は、貧しい人の食べ物で、洗礼者ヨハネがキリストを迎えるに当たって、いかに質素な身なりをし、主の道を準備していたかが分かるのではないでしょうか。
さらに自分自身のことについて「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(マルコ1・7)と言います。「かがむ」仕草は謙虚さを示すもので、「ひもを解く」のは、当時では奴隷の仕事でした。あれほど、多くの人々から期待された方が、キリストを前にしてこうした表現を用いています。
福音の意味、洗礼者ヨハネの生き方を黙想しながら、主の誕生をよく準備していきましょう。