短い箇所の中で「目を覚ましていなさい」ということばが4回も登場するのも珍しいことです。イエスが「目を覚ましなさい」と言われる背景には、私たちが眠い状況にあるということでしょう。
私たちの生活の中で眠くなる状況を考えてみると、例えば仕事が重なって疲れきってしまった時、寝不足になっている時、講演などで話がつまらない時など、いろいろ想像できるでしょう。
眠っている状況については、ゲッセマネで弟子たちが眠っている描写の中にも見えてきます。ここでもイエスは「目を覚ましていなさい」といった内容を3度語っていきますが、それでも弟子たちは眠かったのでしょう。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(マルコ14・38)と。さらに三度目に戻って来てイエスが語るのは、「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た」(マルコ14・41)と。眠い弟子たちの姿が描かれています。
さらに今日の箇所で主人が帰ってくる時間を設定しています。夕方、夜中、鶏に鳴くころ、明け方の4つの時間。私たちの時間とは馴染みが薄いかもしれませんが、その当時、ユダヤを支配していたローマ帝国が用いていた時間の設定で、ローマ人は夜の時間の警備のために4つに分けていました。夕方については、マルコ11・11,19、鶏が鳴くころについては、マルコ14・30,72、明け方についてマルコ6・48のように…。
イエスは弟子たちに何度となく「目を覚ましていなさい」と語ります。私たちも弟子たちと同様に眠い状況に陥っていないでしょうか。いつ訪れるか分からない世の終わり、終末のことを考えながら、目を覚ましていたいものです。