パウロの神体験といえば、ダマスコ途上での主キリストとの出会いの体験です。この体験によって、迫害者パウロが宣教者パウロへと、有無を言わせず変えられました。これがパウロの人生最大の神体験です。
こののち、パウロはさまざまに神の力を体験します。ご質問の「すごい神秘体験」は、そのうちの一つで、第三天にまで上げられたという体験ではないでしょうか。パウロは「主が見せてくださった事と啓示してくださった事を語りましょう」と前置きして、次のように書いています。「十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。……楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです」(二コリ12・2︱4)。
この体験の証人はいません。パウロはこの体験を、主から与えられた恵みの体験と理解しています。当時、天は何層にも成っていると考えられていて、地上に近いほうから順に第一天、第二天と数えられていました。「第三の天」は天の最上位層を指していると思われますが、天の層の数は時代や文化によって異なるので定かではありません。いずれにせよ、神の領域の体験です。
パウロは神学者であったばかりでなく霊の人でした。パウロは霊の働きをたくさん体験しています。「私は誰よりも多くの異言を語れる」(一コリ14・18)とまで言っています。「預言することを熱心に求めなさい。異言を語ることを禁じてはなりません」(一コリ14・39)と忠告しているくらいですから、パウロにとって霊のカリスマの体験は、とても身近なものでした。またパウロは、しるしや不思議な業や奇跡を行ったと断言していますが、パウロはこうしたことを神から出る力の体験と理解していました。
パウロの神の力の体験は超人的な「すごい」体験を通してばかりではありません。パウロは限界を超えた、どうしようもない窮地においても神の力を体験しました。追い詰められ、もう崩れ落ちるしかないと思った瞬間に自分を支える神の力の体験です。この体験が「私は弱いときに強い」とパウロに言わせました。
パウロの神秘体験は、超自然的なすごい体験であったばかりでなく、「徹底的に無力で悲惨な状態」において、圧倒的な神の力を体験することでもあったことに、パウロらしい特徴があると言えると思います。