今、私がお世話になっている共同体のゲートの右側に、赤い花の木が植えられています。五月の上旬から、花がチラチラ咲き始めて、下旬には花は咲き終わり、地面に落ちてしまう花です。おおよそで一ヶ月間ぐらいの花の人生です。花の名前はベトナム語でHoaPhuong(フェニックスフラワー)、英語でPhoenix-flowertだということです。日本では見たことがありませんが、きっとあると思います。フィリピンやベトナムのような亜熱帯気候の国の学生は、この花を見ると、夏休み期間が近いと思うようになります。しかし、最終学年の学生にとっては、赤い花は、寂しさを感じさせる花です。なぜなら先生や友と別れて学校を卒業することは、まだ見ぬ新しい世界があるという嬉しい反面、不安も多く、とても重い気分になるからです。私は花を見ていると、なぜかもじもじしてきます。私は最終学年ではありませんが、学生と同じ気持ちで、一年間一生懸命過ごしてきた修練期間を終了します。ですから、わたしの心の中には、やはり希望と共に、不安や心配がひろがっています。
因みに、修練時期は去年の六月から今年の六月までです。この紙面を借りて、今終わろうとする修練でどのような生活を送ってきたのか。大まかに書かせて頂きます。一日の生活は、朝6時に聖堂に行き皆と一緒に祈り唱えることから始まります。その後40 分沈黙をした後、朝のミサに与ります。その後朝食です。朝食後、修練者7 人は、食器洗いをするグループと衛生管理をするグループに分かれます。午前中の授業は9時から12時までです。昼食はおばちゃんがとても美味しい料理を作ってくださいます。午後は4時半まで使徒職と作業を交代でおこないます。6時から聖体訪問をします。その後夕食をいただき、寝る前の祈りをして一日が終わります。
毎日ではありませんが、第一水曜日に許しの秘跡を受けに近くの教会に行きます。月の最終土曜日には、ゲートを開いて、外から米る信者さんを迎えて、ミサがあります。日曜日に修練長神父様は、時々小教区ヘミサをしに出かけられるので一緒に行きます。その時は現地の人たちに会えますが、勝手に出かけることはありません。この一年、祈りの中での生活と社会生活から隔離をしているような日常は、本当に私にとって大変貴重な経験になっています。
余り出かけないので、自分が好きなことをやる時間があります。あいている時間を使って野菜の世話、読書、英語の勉強、運動など色々なことが出来ます。「小さいことでも自分の好きなことをやって下さい」という風に、修練長はよく呼び掛けられています。私は野菜が大好きなので、結局、自身のガーデンを作って、好きな野菜の種をまいて、実りを得る期待を込めて、毎日水を与えたり草を抜いたり、緊張感を持って世話をしました。神様のお陰でよく成長していい野菜できました。本当に嬉しいです。その代わりに悲しいこともあります。フィリピンで修練をやるのは言語とか文化、それがどれほど大変かっていうことを、すこし実感することが出来ました。
ご想像通りに言葉は私の悩みです。フィリピンでは、英語で使わないといけないということが、よく分かりました。でも、英語が中々できない私は辛く感じています。とにかく、英語だったら、普通の会話は聞き返しながらできますけれど、理解が間違って正しく理解しえないことは結構あります。同級生は英語だけでなくTagalogというフィリピン語も喋ります。英語とTagalogが混じると更に難しくなり聞き取りにくくなります。しかし外国人のわたしを受け人れ、出来るだけ英語で話してくれていることを、とても感謝しています。私は「英語を習得するしかない」と頑張っています。
「修練期というのは、修練者に神の国に関することを知らせ、これを高く評価させることを目的とし、これ以外のすべてのことから当然離脱を深める。すなわち対神徳の生活、謙遜、聖霊に従うことによって絶え間ない祈り、神との交わりを知らせ、実践させることを目的としている」(会憲104)。それで、私にとって、修練はとてもいい雰囲気で自身の召命を反省し、神の招きを慎重に聞き返す、大切の時間です。
私は司祭になる夢を持ってパウロ修道会に入りました。ですからシスター達から会うごとに「立派な司祭になってくださいね」と言われます。また熱心な信者さんからは「素敵で優しい神父様になられますようにお祈りしています」などと、メッセージをいただきます。本当に嬉しく私のモチベーションになっています。しかし、「どのようにすれば立派な司祭、優しい神父さんになれるのか?」と考え続けています。日本からその考えをフィリビンでの修練に持って来ています。自身のオ能から始まるのか?自身の熱心な信仰で歩むのか?「どこから始ますのですか?どのように進めはよいのですか?」様々な思いが巡り、神様にお聞きしました。
神様ははっきり答えてくれませんでした。しかし、静かな瞬間に、心のなかで小さな声で感じました。「お前の壊すところから始めてください」。そんなことを深く感じて、私は涙が出るほどショックを受けました。心の壊すところというのは罪を犯したり、裏切りをしたり、忠誠をしなかったりすることです。そんなことから、改めて新しい人生を作るということです。心を壊して、私は優しい司祭になりたいんです。人生は、特に信者さんにに対して、自分の欠点を理解すれば理解するほど、神様が要ります。私は思います。欠点を通じて他の人の欠点に同感できるなら、人生の重荷を分かち合うことが出来るようになると思います。
近い日、共同体ゲートを正式に出る時、私は長いようで短く感じる修練をとても愛おしく思います。並木道、庭の中の花、果物の収穫の時、一緒に遊んだ子供たちや勉強したクラスメイト、一年の熱い天気、静かな夜などを心に萌して、全部は忘れない思い出になっています。「修練から日常生活に何を持って行っていくのか」。この間、私はずっと考えています。いい思い出はもちろんですが、多分私は神によって改心し、神と共に新しい人生を歩みだします。そろそろ5月も終わり、あの赤い花もあちらこちらで散りはじめています。
私もいよいよ初誓願を立てます。誓願は従順、貞潔、清貧だという神様との約束で、三つのことを意識しながら生きなければなりません。これは修道士の基礎ですので、本当に緊張します。私の大きな挑戦です。しかし、神様と一緒に歩んでいきますので、大丈夫だと思います。共同体の門の近くに咲いている赤い花。今は咲いたり、散ったりしています。人生は嬉しい時、悲しい時、寂しいとき、辛いとき、いろいろな気持ちになります。どんな環境にあっても、気持ちを前向きにもち、神様に向かって進んでいきます。
2023年6月4日にレ・ヴァン・ビエンの初誓願式が執り行われました。
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