つい先日50周年を祝っていただいたばかりなのに、もう60周年を迎えるのかな? いやはや、なんと早いことか! と驚いていました。あれから、もう十年が過ぎたのかと、光陰矢の如しだ! 誰のことわざか知りませんが…。
時が経つことの早いこと大勢の方々のお祈りとお祝いを十分に受けながらも、ただただ自らの使命にもう少し邁進できたのではないか、と反省もしているところであります。
ただし、司祭叙階という時、わたしの記憶から離れないことがあります。それは第二バチカン公会議が同じく1962年バチカンの聖ペトロ大聖堂を会場として開催されるということでした。1962年10月11日~四期に分けてということで、わたしたちの叙階式が7月1日(当時はキリストの御血の祭日として祝われていた)でしたから、約3か月早く叙階式がありましたが、ローマの街はバチカン公会議一色の準備のため大変な光景でした。教皇様を中心とした2.500人以上の公会議参加権を持つ司教様達(patres concilii)が集まって、会議を行うわけですから大変なことです。
でも私たちにとって、幸運だったことは、公会議前の日本司教団の司教様たちの空いた時間を利用して、ローマ本部の使徒の女王大聖堂、その側にある印刷に関わる工場などをご見学いただいたことなどの方が、叙階式の60周年よりも鮮明に記憶に残っています。
叙階式はローマ司教代理大司教の手によって、使徒の女王大聖堂のクリプタ(大聖堂の地階礼拝堂)で総勢25名の同期の助祭と共に1962年7月1日に受けることができました。ミサの執行についてはミサ典書(MISSALE ROMANUM)はすべてラテン語でしたので、典文朗読も、聖書などの朗読もラテン語、しかも、主司式一人が、普通でしたから対面ではなく参列者には背を向けてごミサを捧げていました。
公会議から何年もあとになって自国の言語でのミサの執行、第ニバチカン公会議そのものが、アジョルナメントをテーマに多くの議論が行われ、典礼刷新についても、大胆な刷新が行われたと思います。現在でもまだまだ、第ニバチカン公会議からの影響を受け教会の姿にもまだまだ変化が現れるのではないかと思います。
叙階60周年のおめぐみをいただき、お祝いを受けたことなど心からの感謝を申し上げます。また、一緒に叙階を受けた同期の神父さん方も、すでに半数以上の方々がこの世を去られたことなどを伺いますと、寂しい気にもなります。
私に残された時があるとするならば、光陰矢のごとしですから、自らの使命を忠実に過ごすことができればと、思っています。