ピノトゥの少年時代に大きな影響を与えたのが、ナルツォーレに住んでいたフランチェスコ・ドリアーニ(Francesco Dogliani)という隠遁者であった。通称「チェック聖人」(Cech,il Santo )と呼ばれ、当時60歳の男性であった。それまで人生のあらゆる苦業を体験し、妻に死別してからは福音の精神にのっとり、財産を売り払ってその代金を貧しい人に施し、自分はわずかな年金を頼り、簡素な家財道具を携えて町はずれの洞窟に引き籠もった。夜が明けるとすぐ教会の前に行き、門が開くのを待った。そして毎日のミサにあずかり、聖体を拝領し、何時間も聖櫃の前にひざまずいて祈っていた。
彼は日中は野菜畑で働き、そこから採れたものを貧しい人に施していた。食べ物はスープ一皿だけであった。子ども好きだったので、子どもたちもチェックになつき、その周りに自然と集まるようになった。チェックはこれを利用してカトリック要理を教えていた。本書の主人公ピノトゥも、そのうちの一人であった。当時この教会の助任をしていた。アルベリオーネ神父は、チェックについて次のように証言している。
チェックは中庸の人であり、町長の助言者でした。病人たちは、その枕元にチェックの付き添いを求め、臨終の準備をしていました。司祭たちはチェックの賢明さと悟りの境地を感じ取って、次から次へとチェックに助言を求めていました。チェックは謙虚な、目立たない生活で、すべて隠そうとしていました。しかし、実際は、ヴァッカネオ神父(Vaccaneo=当時のナルツォーレの主任司祭)も私も、そのことはよく承知していました。
古代や中世ならいざ知らず、二十世紀に世捨て人のような生活をする人には、少しどうかしているのではないか、と厳しい批判の目が向けられることもある。しかし、福音の精神を心得ている人には、隠遁生活の尊さが理解できる。ピノトゥがチェックの真意を理解していたかどうかは別にしても、その人柄のよさ、謙虚さ、無私無欲な隣人愛、苦悩に耐える精神力、自発的な清貧の生活には心を引かれ、生き生きとした印象が心に残ったことであろう。その証拠に、ピノトゥは神父になってから『チェック隠遁者(Cech,L’Eremita)という本を書いて、アルバの聖パウロ会から発行しているからにである。
・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。