81 「あなたがたは知らないのですか? あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿っていてくださる住まいであり、そして、自分は自分自身のものでないということを」(Ⅰコリント6,19)。
82 聖霊は創造されない賜物であるが、創造された賜物をあたえる。「いと高き神の家」。「神の愛(創造された賜物)はわたしたちに与えられた聖霊を通じてわたしたちの心の中に広められた」
恩恵は超自然の生命であって私たちに神の生命を与えてくださる。それで私たちは永遠の生命の果実とわざを生み出すことができるのである。それで聖人になれるのは霊魂と身体と聖霊があればこそである。
三種類の生活がある。肉体が実権を握り、命令するなら、私たちは動物的人間となる。理性が実権を握り、命令するならば私たちは理性的人間となる。私たちの中の聖霊が意気、活動するならば私たちは神の子となる。私は活力を与える聖霊を信じる。
83 (霊的な生命が)生まれる。キリストは、普通の子としてこの世に生まれた。「聖霊があなたに降り、それで……」。こうして私たちは「水と聖霊とから……」神の養子として生まれる。聖パウロはこれを聖なるものだと言っている。
「聖霊ご自身がわたしたちの霊とともに、わたしたちが神の子どもであることを証明してくださるのです」(ローマ8,16)洗礼のとき聖霊に場所をゆずるために悪魔を追い払う。「聖霊に場所をゆずれ」。
聖トマスは、こう述べている。「キリストは神の実子となるために、聖霊によって聖なる母胎に宿られた。ほかの人たちは神の養子となるため聖霊によって聖化される」。
84 (霊のいのちは)成長する。
霊のいのちはどのようにして殺され、どのようにして養われるか? 霊のいのちは、ある人が、ただの自然的な人間になるほどになったり、悪くすれば「動物的な人間」となったりするのである。「霊を消してはいけない」「意気消沈してはいけない」。
霊のいのちは神の霊を引き寄せれば寄せるほど成長する。すなわち内的生活を実戦すればするほど成長する。
聖霊は信、望、愛、注入徳、天上の光、霊感など……を通じて人を聖性へ導く。
七つの賜物は霊感でもなければ、徳でもなく、心を傾けて霊感にこたえるようにし、注入徳を実戦させるようにする精神状態である。
英知=霊的な事柄を味わえること。正しいことを知ること。
聡明=内部を読むこと。分別=あなたは私が何をすることを望まれるか? 被造物から創造主へと導く。剛毅=上からの力、孝愛=父なる神を考えさせ、信頼感を起こさせる。畏敬=神の気を害することを恐れる。
85 (霊のいのちは)活動する。「神の霊によって行動する人は誰でも、神の子となる」。使徒職は聖霊の実りである。ナザレトの会堂でイエスはイザヤの次のことばを引用する。「主の霊が私の上におられる。主はわたしに油をお注ぎになったからである。主がわたしをお遣わしになったのは、貧しい者に良いおとずれを伝え、捕らわれびとに釈放を、盲人には視力の回復を告げ、おさえられている者に自由を与え」(ルカ4,18)実際にイエスはこう言った。「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたこの日に、成就した」(ルカ4,21)。塗油は、一つのペルソナ(位格)の中に二つの本性(注、神性と人性)を結び合わせることである。
聖霊降臨の日に「すべての人たちは、聖霊に満たされて、語り始めた」。
イエス・キリストの上に、聖霊は鳩の姿で降り。これこそメシヤであることを見分けるためのしるしであった。「メシヤは聖霊降臨を受けるかたである」。
いけにえをささげる──「かれは聖霊によって自分自身を汚れない者として神にささげる」。
・喜ぶ──「かれはこのときに、聖霊によって喜びおどる」。
・考える──私は生命について、修道生活について、司祭職についてどのように思うか。
・祈る──「聖霊がわたしたちの代わりになって祈ってくださる」。
・望む──すべての善いものは上長を通じてくる。
・話す──「話す人は、神が話すみたいに話さなければならない」。
・活動する──天においても、煉獄においても全地において働かなければならない。私は神から受け取り、神をあてにし、神を探し求める。
師イエスに向かって
86 私はあなたのみことばを礼拝します。「わたしも父にお願いしよう。そうすれば、別の弁護者を遣わして、いつまでもあなたたちと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14,16 )。
「わたしが去っていくのは、あなたたちにとって益になるのだ。わたしが去っていかなければ、弁護者は、あなたたちのもとにおいでにならないからである。しかし、わたしが行けば、わたしは弁護者をあなたたちのもとに遣わす」(ヨハネ16,7)。
「しかし、真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなたたちを導いてくださる」(ヨハネ16,13 )。
「わたしの言ったことをあなたたちに思い出させる」(ヨハネ16,4参照)。
87 「ですから、愛する兄弟の皆さん、しっかり腰を据え、またどっしり構え、絶えず主の仕事に大いに精を出しなさい。主と一致していれば自身の労苦はむだではないと、あなたがたは知っているからです」(Ⅰコリント15,58 )。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです」(Ⅱコリント5,1 )。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(Ⅱコリント4,18)。
「たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」(Ⅱコリント4,16-17 )。
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。