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みことばの響き

寛容さ 年間第25主日(マタイ20・1~16)

 旧約聖書の中に「雇い人の賃金は、翌朝まで伸ばしてはならない」(レビ19・13、申24・15)ということばがあります。雇われて働いた者には必ず、賃金がその日のうちに支給されることを示した内容です。その当時、働く時には実際にいくらで支払い、受け取るかの契約をします。今日のケースでは、1日1デナリオンでそれぞれ契約していきます。

 朝早くから働いた人、午前9時から働いた人、12時、午後3時、午後5時と千差万別です。いずれの人にも主人は、1日1デナリオンの契約を交わしました。法的には何の問題もありませんが、朝早くから働いた人と午後5時から1時間働いた人とでは、時間の差が歴然としています。人間の常識で考えると、午前9時から働いた人のために、午後5時から働いた人の8倍は支払われてもおかしくないと考えるでしょう。でも主人は契約通り1デナリオンを均等に渡していきます。

 ここで、私たちはどちらの立場で考えるかです。午前9時からの立場で考えれば不公平に思えるかもしれませんが、自分が午後5時から働いた身分であれば、どんなに主人から優遇され、愛されているかを実感できるでしょう。後から働いた人たちの言葉に「だれも雇ってくれないのです」(マタイ20・7)は、とても深刻な叫びです。「仕事がない」というのは、とても辛い言葉であるように…。

 またこの箇所で、「友よ」(20・13)という言葉を使います。これは暖かさと親しみを込めた表現で、新約聖書ではマタイだけが使う言葉です。(マタイ11・16、22・12、26・50)。とても寛容な心に満ちた主人の言葉です。

 私たちは神様が厳しい裁き主として捉えていくのか、あるいは自分の不足、不十分さを実感した中で予想外の恵みを神様からいただいている喜びを実感していくかと問いかけてくれます。

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