イエスの変容の場面ですが、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて、山に登ります。マタイ福音書にとって「山」は神との出会いの場所であり、とても神聖な意味合いを持っています。弟子たちは三人ですが、最初の四人の召命を受けた仲間で考えるとアンデレが抜けていますが、何か悪いことでもしたのか、この時、イエスから気に入られなかったのかと考えてしまいますが、それは別問題でしょう。
高い山に到着して、イエスの姿が変わっていきます。「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」と言います。主が復活した時の姿と共通していて、復活の前表とも言えます。また輝かしい姿の中に、神々しさや人間の思いをはるかに越えたものが感じられます。
さらにペトロが話しているうちに光り輝く雲が覆ってきます。ちょうどこれに似たような状況は、モーセがシナイ山で体験したことと似ています。雲には、目には見えないけれど、神が現存していることを表現するのによく使われたりします。
夏の北アルプスなどに登っていると、午前中は天気がよくても、午後からは天気が変わったりします。15年くらい前ですが、蓮華温泉から白馬大池へ行き、白馬岳に登ったことがあります。夜行列車で平岩駅に着き、バスに乗って蓮華温泉へ…。登山開始の時は曇っていて、歩くにはちょうどよい天気でしたが、11時くらいからだんだん雲が覆い始め、12時くらいに山小屋に到着したものの、周囲全体が真っ暗になっていき、最後には雷が鳴り始めて、とても怖い思いをしたことがあります。北アルプスを登っていて感じるのは、雲というのは、雨、雷といったイメージを強く感じさせます。それは同時に、人間の小ささ、自然の偉大さなどを…。
聖書の中で雲は、神の現存を示すものですが、私たちも今日の雲を見ながら、神との出会いを感じ取ってみたいものです。