日本のメンタリティーではちょっと考えられませんが、いろいろな場所に種が蒔かれていきます。日本だときちんとした畑の中に蒔かれるのが私たちの思いでしょう。
パレスチナの畑に蒔かれた種にはどんな意味が込められているのでしょうか。道端のものは、みことばを聞いても心を閉ざし、悟らないケース、石だらけの場所では、みことばを聞くが迫害などが起こるとうまくいかなかったり、自分で物事を考えない浅薄なケース、茨の間とは、世の思い煩いや誘惑に負けたり、多くのことに興味を持ちすぎて大切なことを顧みないケース、良い土地のものは心を開き、喜んで聞き、実行して30倍、60倍、100倍と増えて実を結ぶケースです。
もう20年くらい前になりますが、アフリカのザンビアで活動している久保神父様から月刊誌「家庭の友」のためにお便りをいただいたことがあります。当時、ザンビアに住んで12年とのことでしたから、今では32年近くになるでしょうか。神父様はザンビアで教会や学校を作ったりの日々とのことでした。内戦で苦しむアンゴラの国境まで54kmの地点で、いつ戦争が始まるか分からない地域です。日本大使館からは退去命令が出されているとのことですが、いっしょに働いている人たちや子どもたちのことを考えると、しばらくはそのままザンビアに残りたいとのことでした。神父様にお会いしたことはありませんが、困難にあっても種々の状況を喜んで受け入れ、実行する地道な宣教の実りを感じます。
ある時、都内にある修道院を訪問したことがあります。来日して15年になる外国人のシスターがこんな話をしました。「ある夏、自分の祖国に休暇で帰ったら、友人に『日本で何をしたいのですか』と尋ねられたことがあります。『日本には技術、文化、教育、習慣、すべてにおいて第一レベル。与えるものは何もないでしょう』」と。でもシスターは、日本の人たちのために日々努力して宣教に従事しています。
日本でいろいろな種が蒔かれていきます。どんな実りがあるかを感じ取ってみましょう。