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みことばの響き

人の歩み 年間第14主日(マタイ11・25~30)

 「疲れた者、重荷を負う者は…」ということばで始まりますが、自分で背負っている重荷もあれば、他人から背負わされているものもあったりします。その当時、ファリサイ派が民衆に押し付ける厳格な律法解釈はまさにそうでした。「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない」(マタイ23・4)と。人生の中で種々の重荷があります。

 2005年5月3日、知人のTNさんが亡くなりました。亡くなる2週間前に病院へご聖体を持っていきましたが、ガンであることを認知しながら「最後まで精一杯生きたい」という言葉がとても耳に残っています。亡くなった後、死者カードをいただきましたが、そこには彼が好きだった詩編の言葉が印刷されていました。「私の足は、あなたのわだちの跡を踏み、この足はゆるがない」(詩編17・8)。神様の足跡に精一杯従いたい彼の気持ちがよく込められたことばです。

 さらに1か月半後の6月18日、札幌在住の久野信(まこと)さんが亡くなりました。社会から見捨てられた少年たちの教育のために尽力なさった一人の教育者です。月刊誌「家庭の友」の編集に携わっていた時、原稿を執筆してくださったり、教育問題の特集の時にはインタビューにご協力をいただきました。口癖のように語る言葉に「愛されて育った君、自分の手で幸せをつかんで下さい」。久野さんの葬儀にあたり、長男の方が遺族の挨拶をなさいました。15分ほどなさいましたが、決して長いとは感じませんでした。その挨拶の中でも特に印象的な言葉は、「私の父は3人の父であったとともに、非行に走った子どもたちの父でもありました」と。

 自分で背負っている重荷、また他人から背負わされている重荷。イエスの十字架を見つめると、この両方が浮かび上がってきます。

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