長剣を持った像を見ると、わたしたちはパウロの像だと判断します。長剣はパウロであることを表すシンボルです。パウロが長剣によって表されるのは、彼が剣によって斬首され、殉教したからです。
剣がパウロのシンボルとして用いられるようになったのは、十三世紀以降のことです。それまでパウロのシンボルとして用いられたのは、巻物か書物でした。古くは六世紀にさかのぼり、イタリアのラヴェンナにあるモザイクがその代表です。これはパウロが多くの書簡を書き残したことに由来します。新約聖書は全部で二十七の書物から構成されていますが、そのうちの十三がパウロ書簡ですから、数で言えば新約聖書のおよそ半分がパウロ書簡で占められていることになります。
もっとも、書物を持った御像はパウロだけではありません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音史家や、旧約の預言者たちも書物を持って描かれています。
そのためでしょうか、あるいはパウロが騎士の保護の聖人とされたこととも関係するのでしょうか、十三世紀以降は、書物にかわって長剣がパウロのシンボルとして用いられるようになりました。時には二本の剣を持ったパウロ像もあります。この場合、一本はパウロの殉教を、もう一本はパウロが宣べ伝えた「神の御言葉」を表しています。「御言葉は霊の剣」(エフェソ6・17)であり、「どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通す」(ヘブライ4・12)と書かれているからです。この「霊の剣」とも表現される「御言葉」を、不屈の精神を持って諸民族に語ったのがパウロでした。
現代のパウロ像の多くは、書物とともに一本の長剣を持っています。以上の歴史を踏まえると、この一本の剣は、パウロが剣によって殉教したことを表すと同時に、「霊の剣」と言われる御言葉の不屈の宣教者であったことをも表していると言えるでしょう。