序)「信じる」とは、英語でbelieve。「真実として受け取る」という意味があります。
信仰によって従うとは、聞いたことばに自由に自分を委ねること。
「従う」はoboedireで、「傾聴する」(ob-audire)に由来する。
信仰は聞くことから始まる。
信仰による従順で、模範的な人としては、アブラハムと聖母マリアを挙げることができる。(神のことばに耳を傾け、従う姿)
アブラハムは聖書が示す従順の模範。マリアは従順の模範を完全に具体化した。
1 アブラハムの信仰
*「ヘブライ人への手紙」の中で、先祖たちの信仰をたたえる箇所があり、特にアブラハムの信仰を力説する。(ヘブ11章では「先祖たちの信仰」)
*「信仰によってアブラハムは、遺産として受けることになる土地に出かけていくようにとの召し出しにしたがって、行く先も知らぬままに出かけたのです。」(ヘブ11・8)
①信仰によって、アブラハムは約束の地で寄留人、旅人として暮らした。
②信仰によって、サラは約束の子を懐胎することができた。
③信仰によって、アブラハムは一人息子を犠牲としてささげました。
*「ヘブライ人への手紙」には、「信仰とは、望んでいることがらを確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブ11・1)だと述べられているが、アブラハムはこの信仰の定義を具体的に表している。
「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(ロマ4・3)
この「強い信仰」のおかげで、アブラハムは「信じるすべての人の父」(ロマ4・11、18)となった。
*カミロ・コスタンツォ神父
1571年9月8日、イタリアのカラブリアに生まれる。20歳でイエズス会に入り、1605年8月に長崎に到着。豊後、堺などをまわり、宣教するが、1614年、他の宣教師と共にマカオに追放される。1621年、長崎への密航を企て、有馬にしばらく滞在。平戸などで宣教し、1622年4月24日、宇久島で捕らえられ、平戸の焼罪で殉教した。信仰の原点をみる。
2 マリアの信仰
*マリアは、信仰による従順をもっとも完全に具体的に表していきます。マリアは信仰をもって、大天使ガブリエルによるお告げと約束を受け入れていきます。
「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37)ということばを信じ、
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「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)と同意したのです。
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エリサベトはマリアに、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じたかたは、なんと幸いでしょう」(ルカ1・45)とあいさつします。
マリアはこの信仰の結果、世の人からも幸いな者と宣言される。
★マリアの素朴な信仰。
★浅田ミスさん。
7~8人の子どもがいて、そのうちの二人は戦死。
その後、毎日ロザリオの祈りをささげる。
素朴な信仰に生きた人だった。
*マリアの信仰は生涯にわたって、ご自分の御子イエスが十字架上で死ぬという最後の試練にあった時でも、揺らぐことがありませんでした。
マリアは神のことばの「成就」をいつも信じていました。
イエスの「成し遂げられた」(ヨハ19・30)の証人となります。
こうして教会は、マリアの信仰を、最も純粋に生きた方として敬う。