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みことばの響き

共にいてくださる 主の昇天(マタイ28・16~20)

 司祭・修道者を目指そうとすると、教区司祭の場合、神学校に入って哲学や神学など、司祭叙階に必要な課目を勉強し、修道者の場合、志願期、修練期、有期誓願期などがあり、終生誓願を宣立して一人前になるための歩みをいたします。修道司祭を目指すなら、これら以外に哲学や神学を勉強する必要があります。修道司祭の私にとって一番緊張したのは、司祭叙階も含めて初誓願の時でした。初めて誓願を立てるということ、また両親や兄弟たちが出席していることなど、いろいろな要素が重なったこともあります。特に初誓願の前夜は緊張のあまり一睡もできず、ついに朝になってしまったそんな記憶があります。普段はすぐに眠れるのですが…。初誓願とはいえ、修道会にささげる決意を真剣に考えた時だからかもしれません。

 主の昇天において、イエスは弟子たちと別れを告げていきます。弟子たちにとっては、とても寂しい瞬間だったでしょう。これまで長いこと生活を共にしてきた中だけに…。「わたしには天と地と一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・18~19)と、イエスから使命を託されますが、彼らにとってはほんとうに大丈夫かなあといった不安な要素がたくさんあったことでしょう。これまでイエスが傍にいてアドバイスをしていただけに、彼らには多くの戸惑いがあったに違いありません。そんな彼らにイエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と、いつでも「共に」にいることを語ります。

 誰しもいろいろな場で独り立ちをしていきますが、そこには不安な材料がつきまといます。でも今日のみことばのように、イエスがいつも共にいてくださることを、確信しながら歩んでいきましょう。

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