「この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に解き明かしています。こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのです」(エフェゾ3,8-10)
10 使徒職は、キリストの活動を継続することである。キリストは使徒であった。「使徒として、また司祭としてのイエス・キリストを私たちは待っています」彼は、聖パウロと使徒と、司祭たちに、使徒職を与えた。「私たちは彼から使徒職を受ける」のである。使徒職とは、イエス・キリスト(神の国)のために万物を獲得し、教会を建て、人々に神を伝え、神に人間を捧げるために力を尽くすことである。
11 使徒は信じ、望み、行動する。聖パウロは次のように信じていた。
「神は、この神秘が異邦人のうちにどれほど豊かに輝き現れているかを、彼らにわからせようと思われたのです。この神秘とはあなたがたのうちにおられるキリストであり、栄光の希望です」(コロサイ1 ,27)。「イエス・キリストへの信仰によって、神の義は信じるすべての人の救い、そこには差別はありません」(ローマ3,22)。
聖パウロ、つぎのように望んでいた。「私は自分自身をささげつくす。……すべての人にとってすべてとなった……。イエス・キリストの奉仕による使徒であること」(Ⅱコリント12,15 、Ⅰコリント9,22、ガラテア1,1 )を望んでいた。
聖パウロは、次のように行動した。崇高な使命、勝利を確信し、全世界のために力を使い果たした。
司祭はこうでなければならない。すなわち生き生きとして信仰をもち、真剣な、不撓不屈な意欲を、死に至るまでもたなければならない。
人とのかかわり合いの中で、このような高い理想のために自分を使い尽くすことは、美しい偉大なことである。「おおくの人に正義を教えた人々は、輝くであろう」(ダニエル12,3参照)
12 元来、キリスト教的である人間の心は、真理と徳と平和にあこがれる。広大な世界は、福音を受け入れた。なぜなら、ほかのどのような方法によっても、平和としあわせを得なかったからである。事情は今と変わらない。
「私たちの神に勇気づけられ、はげしい苦闘の中で、あなたがたに神の福音を語った」(Ⅰテサロニケ2,2 参照)のである。福音自体はすべての疑いを解き、罪から解放し、力のある、秘跡的なものである。「実に、神のことばは生きていて、力があり、どんな両刃の剣よりも鋭く、魂と霊との、また、関節と骨髄との分かれ目まで刺し通し、心の思いや考えを見分けることができます」(ヘブライ4,12)。
最も大切なのは内的生活の使徒職であり、次に苦しみの使徒職、模範と祈りと刊行物と活動による使徒職である。
・糾明……裁きの日、私はどうなるのだろうか?
・痛悔……私は、私の辱めと、イエス・キリストの功徳とマリアの使徒職と聖なる使徒たちと聖なる司祭たちの使徒職を、つぐないのためにささげる。
師イエスに向かって
13 師であり、おん父の使徒であるあなたを私は礼拝します。あなたのみ教えと福音とを天より私にもたらしいくださったことを感謝いたします。また、おん父の望まれたあがないの神秘を私にあかしてくださったことを感謝いたします。
すべての人に、あなたのすばらしい富を伝えるようにと私を使徒職にお召しくださったことを感謝いたします。獲得された成果のゆえにあなたがたたえられますように! 私は、善業を限りなく怠ったゆうに、深く悲しみ、気が狂いそうであり、当惑しています。あなたのおん母であるマリアをさしおいて? 私にはあなただけしかないのです……。あなただけが望みの綱です……。「救いはこの方以外によっては得られません」(使徒4,12)。私がもっとよく学んでいたらよかったのに。パウロやアルフォンソやフランシスコのような信仰を体得していたらよかったのに! あなたのおん助けにもっと信頼しさえすればよかったのに。
私がもっと神の栄光と人々に対する熱意も持っていさいすればよかったのに! 神が公正であり、私が兄弟たちを永遠に救うことは計り知れない神のいつくしみです……。それなのに私はどうでしょうか? なんという冷ややかさ!
私がもっと謙遜であったならば、自分だけのことを考えなかったら……説教の準備を勤勉にしたでしょうし……説教の前の祈りをもっと熱心にしたでしょうし、出版の仕事にもっと気を配ったでしょうに……。
使徒職はつまずきを償います。そしてつまずきはたくさんあるのです。それらの結果が、どこまで広がるかを私は知らないのです……。それでは? 聖パウロは「宣教することと書くことを決してやめませんでした」。私は教会の三十人博士たちのことを思い浮かべます。彼らを賞賛し……、彼らに懇願し、……彼らに倣います。
ロザリオの祈り、著作物のための連祷、ミゼレレ。
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。