カトリック教会の典礼の「聖なる過越の三日間」は、ユダヤ教の過越祭と深い関連があります。ユダヤ教における「過越祭」は、「五旬祭」、「仮庵祭」とともに三大祭りの一つとされている重要な祭りです。
過越祭は、エジプトの奴隷状態にあったイスラエル(=ユダヤ)の民が、モーセを通して行われた神の救いのわざによって、エジプトから脱出したことを祝う祭りです。神はイスラエルの民を解放するため、「エジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国の初子」(出12・12)を滅ぼされました。その時、神の言葉に従って、「家の入り口の二本の柱と鴨居」(出12・7)に小羊の血を塗っていたイスラエルの民の家を、神は過ぎ越されました(出12・ 13、23)。「過越祭」(ヘブライ語でペサハ)という名称は、その時の故事に由来するものです。イスラエルの民にとって、このエジプト脱出は、自分たちの先祖の神(ヤーウェ)の救いを体験する根本的な出来事となりました。そして、この神の救いのわざを記念するため、イスラエルの民は、ニサンの月の14日(太陽暦では、3月末から4月の初めごろ)に小羊を屠って焼き、種無しパンとともに食べて祝うようになりました(出12・1〜28参照)。これが過越祭です。
キリストが受難の前夜に行われた最後の晩さん(ヨハネ13・1)も、過越祭の食事の性格を帯びていたと考えられています。この最後の晩さんの席で、キリストはパンとぶどう酒を用いて、すべての人の罪のゆるしのため、十字架上でいけにえとなるご自分のからだと血の記念(聖体の秘跡)を制定され、これを祝い続けるよう、使徒たちに命じられたのでした(一コリ11・24〜25)。その翌日、キリストは、イスラエルの民のエジプト脱出のときに屠られた小羊のように、新しい神の民のためにいけにえとなり、十字架上でご自分のいのちをささげてくださったのです。この奉献を受け入れられた父である神は、キリストを死者の中から復活させ、その右に上げてくださいました(使徒言行録21・31〜33参照)。こうしてキリストによって罪の奴隷状態から、すべての人を解放して神の国(永遠のいのち)に導く、神の救いのわざが成し遂げられたのです。
キリスト者は、キリストを新しい小羊と理解し、その死と復活によって、新しい神の民が死から永遠のいのち(復活のいのち)に過ぎ越す恵みをいただいたことを、三日間かけて盛大に祝うようになりました。これが、カトリック教会で祝われている「聖なる過越の三日間」です。ユダヤ教の過越祭は、キリストを通して実現された神の救いのわざにより、「聖なる過越の三日間」という、より深い宗教的意義と恵みをもたらす祭りに昇華されたということができます。
・回答者=白浜満司教