感謝の典礼
日本語のミサ式文の変更について、今回は「感謝の典礼」について話したいと思います。さまざまな変更はありましたが、今回は重要と思われる点について指摘することにしましょう。
叙唱から始まる「奉献文」は「エウカリスティアの祈り」という表記が同時に置かれました。「エウカリスティア」というラテン語は非常に広い意味を持つ言葉で翻訳が難しい表現です。その意味で、今回の日本語式文で「エウカリスティアの祈り」という表記がなされたことを、わたしたちは大切にしたいと思います。「エウカリスティア」は元来、「感謝」という意味を持つギリシア語ですが、教会の中では「聖体」という意味も含め、広い意味を持っています。「奉献文 エウカリスティアの祈り」とは、神がご自身の愛する独り子をわたしたちにお与えになるほどにわたしたちに恵みを与えてくださった、そして独り子イエス・キリストが死と復活をもってわたしたちのためにご自身を与えてくださった、このあふれるほどの「恵み」の記念であり、それに対するわたしたちの謙虚な「答え」を表すものです。この点をわたしたちはミサの時に意識したいと思います。
式文で大きく変更になった点は、叙唱の導入句です。第二バチカン公会議以後、日本の典礼に対する適用として、司式者と会衆のやり取りは2回にされていましたが、ラテン語規範版の式文に基づいて3回のやり取りに変更されました。ただし、叙唱本文自体は数においても豊かですから、これまでのものが継続使用されることになりました。
奉献文自体については、これまでの式文が採用されています。
ただ、いわゆる「聖変化」の後の「信仰の神秘」に対する会衆の応答は大きく変更されました。ラテン語規範版では従来から、この応答はキリストご自身に対する答えとして2人称で唱えられていましたが、日本語式文ではこれまで3人称で唱えられていました(「主の死を思い、復活をたたえよう……」)。奉献文自体は全体的に「父である神」に向けられていますから、ここだけイエス・キリストに向けられるのはおかしいのですが、主の晩さんの記念である「信仰の神秘」、「過越の神秘」があまりにもすばらしいものであるために、イエス・キリストに対して二人称で「あなた」と呼びかけざるをえないのです。わたしたちはこのことも意識したいと思います。