1936年12月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれる。本名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。
イタリアのマルシュからアルゼンチンへ移民した家族で、父マリオは鉄道会社の会計士、母のレジーナ・シボリは主婦。ホルヘは5人兄弟姉妹の長男。
1957年、化学の学士号を取得後、司祭になるためヴィツラ・デヴォート神学校に入学。
1958年3月11日、イエズス会の修練院に入り、1960年3月12日、初誓願を宣立した。
1963年、チリのサンチアゴで教養課程修了後、アルゼンチンへ帰国。サン・ミゲルのサンホセ神学校で哲学の学位を取得。文学と心理学、その後、ブエノスアイレスで教える。
1969年12月13日、司祭に叙階された。
1970年、サンホセ神学校で神学修得。
1973年4月22日、イエズス会での最終誓願。
1973年7月31日、アルゼンチンのイエズス会管区顧問を経て、イエズス会の管区長に就任。
1980年、サンホセ神学院の院長に就任。
1986年、神学博士号取得のためドイツ留学、研究テーマはロマーノ・グァルディーニについて。研究中、本国の上長の命で上級職就任のためアルゼンチンに帰国。コルドバの教区で司祭として司牧活動。
霊的指導者、聴罪司祭として数年間司牧活動。
1992年5月20日、ヨハネ・パウロ二世によってブエノスアイレスの補佐司教に任命される。アントニウス・クアラチノ枢機卿のもとで働く。6月27日、同枢機卿により司教叙階。
1993年12月21日、ブエノスアイレス大司教区の司教総代理に任命される。
1997年6月3日、ブエノスアイレス大司教区の協働司教に任命され、1年後クアラチノ枢機卿亡くなり、継承して1998年2月28日、ブエノスアイレス大司教区の大司教となる。
2001年2月21日、ヨハネ・パウロ二世によって枢機卿に親任された。
2005年、コンクラーベに参加し、この時、ベネディクト十六世教皇
選出された。
2013年2月11日、ベネディクト十六世教皇が引退を表明。
2013年3月13日、新しい教皇に選出され、フランシスコを名乗った。初めてのラテンアメリカ出身、初めてのイエズス会出身、初めてフランシスコを名乗った教皇。
2013年4月7日、ローマ司教として着座。6月29日、最初の回勅「信仰の光」を発表。これはベネディクト十六世が残した草案を引き継いで完成したもの。
7月8日、イタリア最南端のランペドゥーザ島を訪問。
7月22日~29日、ブラジルのリオで開催された「世界青年の日」に参加。
9月22日、サルディニアのカリアリへ司牧訪問。
10月4日、アッシジへの司牧訪問。
11月24日、使徒的勧告「福音の喜び」を出版。
2015年5月、回勅「ラウダート・シ」を発表。
2016年3月、使徒的勧告「愛のよろこび」を発表。
2018年3月、使徒的勧告「喜びに喜べ」を発表。
2019年11月23日~26日、日本を訪問。
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