宣教者たちの活動
一九七五年、「宣教学」の学位を持つレオナルド・マンフレディ神父が、召命に携わる特別の使命を帯びて韓国に派遣されて来た。彼はまた、書店経営と編集の技量にも熟練していた。私たちは彼を二年間、宣教師のための韓国語学校に通わせ、彼の学習の妨げとならないよう気を使った。マンフレディ神父は「皆勤賞」の表彰を受けて所定の課程を修了したが、残念ながら韓国語の進歩は見られなかった。そのため、私たちがもうしばらくの間、その“穴”をふさがなければならなかった。
マンフレディ神父に続いてジュリアーノ神学生が来韓した。彼は韓国宣教におけるすべての「ゴタゴタ」を自分こそがきれいに片づけ、「最初からやり直すのだ」という頑固な固定観念を持っていた。そしてそれは、本当に困ったことだった。結局彼はイタリアに戻ったのだが、もう韓国に戻る考えは金輪際ないものと思われる。その後、ガリアーノ神父も休暇でローマに帰り、そのままイタリアにとどまってしまった。残った最後の二人、有期誓願者のジュゼッペとフランチェスコは、こうした状態にひどく失望し、彼らは退会して他の職業に就いた。
やむなく満七十歳に近く、ほとんど隠居の状態であった私が、また一年間、修道院を支える任務を負い、私の後任であるアンジェロ・ザッパロルト神父が、一年半の職務を引き受ける準備が整うまで忍耐しつつ待っていた。
以上述べてきたことは、後継者並びに交代要員の不足がますます深刻、かつ重大となってきていることを示している。おそらく韓国における聖パウロ修道会の発展は、現在イタリアで養成を受けている、熱意にあふれた新しい韓国人の若き「宣教兵士」たちによって活路を見いだすのであろう。