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志願者教育

 最初の志願者の若者たちに対しては、何よりもまず彼らの召命の土壌を試してみることであった。志願者は二十人ほどだったが、彼らはあまりにも粗野で、そして「寄せ集め」であった。

 すぐに養成上の問題が起こり、素養のある、熱意にあふれた若い司祭が急務となった。

 私は韓国語を正確に理解するにはすでに年を取りすぎていたし、その上、独学しなければならなかったのである。同僚のサムエル・テスティ神父は、一週間後に韓国語の教科書を放り出して「(韓国語は)難しすぎて、とても私には合わない!」と嘆いた。そして彼はアメリカ軍の進駐軍に通い始め、会にとって何らかの経済的な利益をもたらすようにしていた。それは北の共産軍(北朝鮮)の侵入後という、恐ろしい状況があったからである。(朝鮮戦争)。戦争は一九五三年に終わったが、南の韓国は完全に破壊され、無秩序の状態になり、そして疲弊した。韓国の人々にとって、生き永らえるということが先決問題だったのである。

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