ミアリでの最初の家
ラジオ局の開局に関する諸手続きが完了するまでには、一年以上かかった。その間に私は肝臓を患い、アメリカ軍の軍医たちが胆のうの手術をしてくれ、それは大成功に終わった。そして手術代はなんと無料だった!
またミアリに土地を購入し、聖パウロ修道会の共同体のために小さな家を建てた。その家には最初の志願者たちのための小さな印刷所も併設してあった。私たちの当初の目標は、こうした場合の常として、まず共同体の運営と出版活動を始めることであった。
私たちにとってたいへん有利だったのは、聖パウロ女子修道会の存在であった。当時シスターたちは、暫定的にソウル郊外にある小教区教会の敷地内の小さな家に住んでいた。
つまり何が言いたいかと言うと、彼女たちがすでに準備し、努力を重ねて作り上げてきた普及活動のための組織やルートに私たちは「便乗する」ことができた、ということである。購入した物件はミアリにあり、郊外ではあったが、町と向かい合っていた。この建設計画の支持者はフランシスコ会の管区長アポリナーレ神父だった。計画では、この広い土地を購入して、それを三つに分け、最も大きい区画はフランシスコ会の神学校(そこには私たちの会の神学生を送り込むことができる予定であった)のため、二番目に大きい区画は聖パウロ女子修道会のため、そして三番目の区画は私たち聖パウロ修道会のためであった。最初に私たちが建設を始め、ほぼ同時に聖パウロ女子修道会も建設を開始した。しかしフランシスコ会は、当初の計画をより良いものに変更した。彼らは自分たちの分の土地を売却し、ソウル市の中心地に聖座(バチカン)からの援助を得て、宣教師のための立派な上級学校を建設したのだ。フランシスコ会はすでに東京においても同様な事業を実現させていて、その先見性に富んだ能力をすでに証明していたのである。