「許可する」
ローマに戻った私は、健康診断の結果を創立者に報告した。私の来訪は創立者を「どきっ!」とさせた。彼は頭を垂れて、黙って私の報告を聞いていた。それから敏捷な動きでソファーの背もたれに頭を寄せ、意志の強そうなあごをぐいっと上げ、目をきらきらさせて結論を下した。
「よろしい。お前と一緒に行くパートナーを指名する」。
「新しく会の創立に向かう私にはなむけとして、何か助けてくださいますか?」。
「たいしたことではないが、少しだけ。さあ、私の祝福と祈りを受け取りなさい!」。
東京を経由して韓国に向かう旅行で、私は少し時間を割いて東京に立ち寄り、新しい東京教区の大司教様(土井枢機卿は、数日前に逝去されていた)にご挨拶に行き、派遣地への準備のために二週間ばかり東京に滞在する許可をお願いした。新しい大司教の答えは、私にこのままずっと東京大司教区にとどまってほしいこと、東京に滞在するにあたっては何の支障もないこと、そしてご自分と昼食をともにしてほしいという、この三点であった。
私たちは一九六一年十二月二日の夜、韓国に到着した。翌三日、ソウルでの最初のミサは、東洋の宣教の保護者「聖フランシスコ・ザビエル」のためのミサであり、その日はまた、韓国における私たちの会の創立のために選ばれた日でもあった。