「女たちは、教会では黙っていなさい。彼女たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、女たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。女にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。」(一コリント14・34〜35)
上の2節はパウロが書いたものではなく、後代の人が書き込んだものだと考えられています。というのも、この2節を14章の最後に書き足している写本が発見されているからです。6世紀に書かれた『ベダ写本』がその代表です。さらに、この2節の内容がパウロの女性観や、パウロが生きた時代の教会の状況と合致していないことも、パウロが書いたものではないと考える根拠になっています。
パウロは男性中心主義のユダヤ教社会に育ちましたが、キリスト教徒になってからは、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。皆、キリスト・イエスにおいて一つだ。(ガラテヤ3・28)と断言しました。ここまで言い切るパウロが「女たちは黙っていなさい」と言うでしょうか。
パウロ時代の教会の女性たちは、大変活躍していました。パウロの宣教仲間にも多くの女性が含まれていました。その一人がフェベですが、彼女はケンクレアイの教会の責任者でした。教会の責任者が女性であるのに、どうして「女は黙っていなさい」と言えるでしょうか。
女性たちの活躍は続きました。紀元百十二年ころに書かれた総督プリニウスの書簡では、キリスト教の実態を把握するために教会の二人の責任者を逮捕し、拷問にかけたことが述べられていますが、この二人の責任者は女性であり、しかも奴隷であったと記されています。当時の教会では、女奴隷でも責任者になりました。このような教会にあって「女は黙っていなさい」と言うことには無理があります。
やがて教会の体質に変化が生じ、「女たちは黙っていなさい」が教会の体質となる時代が来ます。教会のローマ化の時代です。ローマ社会は典型的な男性社会でした。ローマ社会に受け入れられるために、教会は女性の自立性とイニシャティブを犠牲にしたのです。
女は、静かに、まったく従順に学ぶべきです。女が教えたり、男の上に立ったりするのを私はゆるしません。むしろ、静かにしているべきです。(一テモテ2・12)。
これは二世紀の前半に書かれた手紙です。パウロの手紙と言われますが、パウロが書いたものではありません。この手紙が書かれた教会における女性の役割と、パウロ時代の女性の役割には、雲泥の差があります。
先に引用した『一コリント』の2節は、後に引用した『一テモテ』を参考にして、後世に書き込まれたものだと考えられています。
「女は黙っていなさい」の書き込みは、キリスト教がローマ帝国時代を生き抜くために支払った代価が、「女性の自立性の放棄」であったことを証ししています。