15年前、一年間を表す文字に「偽」が選ばれるほど、暗いニュースや偽善的な出来事が多かったのではないでしょうか。特に暗いニュースでは、地方の事件がよく取り上げられました。例えば佐世保での乱射事件。犯人は船越教会所属の信者であったこともあり、私自身、とてもショックでした。地方の事件が多いように思うのも、何かメディアの操作が感じられます。実際には都会でもかなり劣悪な事件が起こっていますが…。
『暴走老人』という本がありますが、暴力事件やキレやすいのは若者だと単純に考えがちですが、この本では若者よりも高齢者の暴力事件が増加していることを指摘しています。私たちの先入観だけでは測れない種々のものがあることに気づかされます。社会の中でいじめの問題がありますが、よくよく根源を探ってみると、高齢者のトラブルが要因になっていることも…。こうした背景には、幸福な体験が時代とともに希薄になっているのかもしれません。
電車や地下鉄に乗っていると、毎日のように「○○線は人身事故のため、列車が遅れております」「列車の運転を見合わせています」といったテロップがよく表示されます。それを見るたびに、だれか相談する人がいなかったのだろうかと思ったり、何がそこまでその人を追い詰めたのだろうかと思ったりします。自分にとっての幸せや喜びを感じる機会が減っているのでしょう。
昔、家庭には囲炉裏がありました。まさにテレビがない時代で、囲炉裏を囲みながら、木を燃やしたり、火に当ったり、いろんな悩み事を相談したり、雑談をしたり、時にはケンカをしたり…。火を囲みながらのコミュニケーションでした。今はテレビがコミュニケーションの中心になったりで、家庭の中でのコミュニケーションがすっかり薄れています。場合によってはまったくないかも…。
こういう時代からこそ、「心の貧しい人々は、幸いである」というのは、豊かなメッセージを持っています。暗い時代だと思うからこそ、みことばから生きる糧を得たいものです。