修道会の兄弟が膵臓癌のため、64歳の生涯を終えました。彼は9人の兄弟姉妹がいて下から2番目です。彼の兄弟姉妹は、全て修道院に入りましたが、何人かは別の召命を後で選ぶことになりました。それでも現在は、3人の兄弟姉妹が修道生活を続けています。彼は、亡くなる1ヶ月前まで宣教活動を行っていました。そして、多くの方から愛され、慕われ、それと同時に周りの人に喜びと元気を与えていました。
きょうのみことばは、洗礼者ヨハネがヘロデによって捕らわれた後、イエス様が宣教を開始する場面です。みことばは、「……イエスはガリラヤに退かれた」と始まっています。イエス様はそれまでエルサレムにおられたようです。エルサレムは、今の日本に例えるとしたら東京と言っても良いでしょうし、効率的に福音宣教を行うのでしたら、エルサレムで行った方がたくさんの人に宣教ができたのではないでしょうか。しかし、あえてイエス様はガリラヤに退かれます。
ガリラヤは、地理的にも歴史的にも異邦人の文化が入りやすい所でしたので、エルサレムの人たちから見ると、軽蔑する地方というように捉えられていました。また、福音書の中では最初に書かれたマルコ福音書と言われていますが、マタイはマルコ福音書の「イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて仰せになった……」(マルコ1・14)と書かれた箇所の【ガリラヤ】を見て、次に書かれているイザヤの書を挿入したようです。
マタイ福音書が引用したイザヤ書には、「異邦人のガリラヤ、闇に住む民は大いなる光を見た。死の影に覆われた地に住む人々に光が昇った」とあります。この【光】は、救い主であるイエス様のことを指しているようです。ですから、イエス様は、エルサレムの人から蔑まれている「闇の地方」に【光】としてまず、宣教活動の拠点をおいたのではないでしょうか。
イエス様は、洗礼者ヨハネが宣教していた時に人々に伝えていた「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3・2)という言葉を用いて宣教を始めます。人々は、イエス様のこの言葉を聞いて、洗礼者ヨハネが「後から来られる方は、わたしよりも力がある方で、わたしはその方の履き物を脱がせる資格もない」(マタイ3・11)と言っていたのを聞いて、イエス様こそ救い主だと気づいたのではないでしょうか。
まずイエス様は、ご自分と一緒に宣教活動をしてくれる人を探されます。イエス様は、神殿にいる祭司や律法学者の所に行かずにガリラヤ湖のほとりに歩まれます。ここでもイエス様は、エリートと言われる人たちの所ではなく、貧しい人たちの所に足を運ばれたのでした。そして、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖に網を打っているのをご覧になられます。イエス様は、漠然とご覧になられていたのではなく、彼らなら自分と一緒に福音宣教をしてくれるのではないかと思われたのではないでしょうか。
このイエス様の姿は、現代の野球や相撲などのスカウトマンと言ってもいいのではないでしょうか。彼らは、中学、高校生の才能ある子を探し、見つけたならさらに注意深くその子を観察していきます。イエス様は、シモンやアンデレが網を打っている姿を注意深くご覧になられます。彼らは何度も魚がかかるまで網を打ち続けていたことでしょう。イエス様は、そのような彼らの姿に何か感じられたのではないでしょうか。
イエス様は、彼らに「わたしについて来なさい。あなた方を人を漁る漁師にしよう」と言われます。イエス様は、彼らが【漁師】だったのでこのような言葉かけをされたのでしょう。イエス様の召命は、私たち一人ひとりが生涯を通して生き生きと歩める所に招かれているのではないでしょうか。私たちの歩みは、イエス様のこの【召命】に応えた【生活】と言ってもいいのかもしれません。
次にイエス様は、シモンとアンデレに声をかけられたように、舟の上で網の手入れをしているヤコブとヨハネを【ご覧になられ】、この二人にも【声】をかけられます。イエス様は最初の弟子たちを招くにあたって【兄弟】を選ばれます。彼らは、【兄弟】という強い絆を持っていたのではないでしょうか。彼らは、子どもの頃から一緒に生活し助け合い、気がついたら二人とも漁師をしています。イエス様は、家族を大切にし、さらに新しい天の国ための【新しい家族】を作られたのではないでしょうか。この【新しい家族】は、【教会】と言ってもいいのかもしれません。
イエス様は、彼らと一緒にガリラヤ全土を巡り、会堂で教え、天の国の福音を宣べ伝え、民のすべての患いや病気を癒やされます。イエス様は、ただ【教える】だけではなく、人々の苦しみを癒やされ、彼らに共感され一緒に歩まれます。ここにイエス様のアガペの愛があるのではないでしょうか。
今、イエス様は、私たち一人ひとりを【ご覧になられ】導かれ、ご自分と一緒に福音を宣べ伝える人に【声】をかけられておられます。私たちは、イエス様の【眼差しと声】に気づき、日々の生活を歩んでいくことができたらいいですね。