人間の定義について、学問的にはホモ・サピエンス(知恵ある人)とありますが、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「人間は社会的動物である」、中世の哲学者デカルトは「人間は心を持った機械」、その他にも「道具を使う動物」「生産する動物」などがあります。そんな中でもよく知られているのは、フランスの哲学者パスカルが『パンセ』の中で語る「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」です。
「葦」にちなんだ楽器と言えば、オーボエやクラリネットがありますが、そのマウスピースは葦からできています。特にオーボエ奏者は、自分が吹く楽器のマウスピースを作ることから始まると言われ、マウスピースを上手に作る演奏家ほど、プロの演奏家と言われたりします。
「葦」のことをギリシア語で「カラモス」と言います。この言葉には、「葦の棒」「筆」「葦のペン」の意味が含まれ、今日のみことばにあるように「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か」と描かれています。ここでの「葦」は不安定さの象徴(一王14・15)や「傷ついた葦」(イザ42・3)、弱さの象徴(マタイ12・20)となっています。また「葦の棒」(マタイ27・48)では、イエスを嘲笑する内容にも使われています。そんなことから、「風にそよぐ葦」は、「定見なく時流に従う人」「不安定さの象徴」として捉えられていました。
ヨルダン川一帯には葦が生えていたと言います。そんな身近なものを用いながら、私たちの弱さを振り返るチャンスではないでしょうか。