私は、プリモ・マエストロがその生涯のために、特別なモットーを選んでいたとはいえないように思う。私は彼が、「これがわれわれのモットーです」というのを聞いたおぼえはない。しかし彼は、自分でしばしば用いたことばや句をもっていた。それらは彼の考えやのぞみ、彼の生涯全体の指針を示すものであった。すなわち、「神のより大いなる栄えのために」、「主において」、「平和」、「天国」その他のいくつかのことばがそれであった。感謝のために彼は「デオ・グラチアス」(神に感謝)ということばを使い、その返事に「エト・マリエ」(マリアにも)ということばを、われわれが使うのをのぞんでいた。彼のあいさつは、「イエス・キリストし賛美されますように」(シア・ロダート・ゼズ・クリスト)であった。それらのことばや句は、彼の生涯に、どれほど超自然的な考えが浸透していたか、また、その同じ超自然的な精神が、われわれの生活にも行きわたるのをのぞんでいたかを示すものである。しかし特に、彼が表現し、あるいは彼の召命とわれわれの召命のあらゆる意味を要約するために使われていたことばは、福音のあのことば、すなわち聖パウロ修道会の紋章にも書かれている「神の栄光……人々に平和」ということばであった。
二世紀にまたがるあの有名な夜、すなわち1900年12月31日と1901年1月1日の夜、アルバ司教座聖堂におれる四時間にわたる礼拝の間、当時神学生であったアルベリオーネは、「神と新しい世紀の人々のために何かをする」という決心をした。その時、彼は具体的に、正確に何をしたらよいかは知らなかった。だが、彼の生涯のプログラムの中核は、ここで、「神の栄光」(神のために何かする)、「人々に平和」(新しい世紀の人びとのために何かする)ということが明白である。彼の生涯と、他の無数のブドウの木の枝のために決定的であったあの夜、アルベリオーネ神学生は、神によって照らされた光の決心を実現させるために、どれほど苦しまねばなければならないかを想像しなかった。
しかし、「天には栄光」のことばが、彼の生涯の北極星、苦しみとたえざる喜びとなりながら、彼の精神と心に根をおろしていたことは確かなことである。彼は、何回となく、いろいろな方法で、神の栄光と人びとの平和のための苦しみを、われわれにも注ごうとつとめたのであった。それはつまり、キリストの託身とその生涯、死と復活の目的、すなわちイエス自身の苦しみでもあったのだ。われわれ志願者たちが、いろいろな理由で、彼のたえざる主張の深い意味を理解し、評価できなかったのは残念である。
彼の死後、今になってはじめて、アルベリオーネ神父の恐るべきあらゆる事業をひとまとめに考えるとき、われわれは、たとえ正確かつ完全にではなくても、「神の栄光……人々に平和」という福音のあのことばの力が、彼にとってどれほど大きかったかを解することができるのである。確かに、神の助けによって実現したことは、現代の偉大な預言者にふさわしかった。というのも、「新しい世紀」の人びとのためにかぎられたのではなく、後世の人びとのためでもあり、そのためになるであろうから。
しかし、多くは、われわれにかかっているのである。
『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。