十字架を背負うには、ふだん自分が持っているものを捨てるとそれは軽くなりますが、捨てること自体が難しいものです。もっと難しいのが、プライドを捨てること。
15年前の6月1日に教皇様は「ペトロ岐部と187殉教者」の列福を承認するため、その書類に署名いたしました。日本の殉教者たちの証が教会で公に認められたことになります。
この殉教者たちの中に「原主水」(はらもんど)という信徒がいます。彼は駿府城(静岡市)で徳川家康のもとで仕えていましたが、キリシタンであることが分かり、安倍川のほとりで額に焼印を押され、さらには手足の筋を切られ、自由に歩けないほどの身になり、駿府にあったハンセン病患者のところで、ひっそりと生活します。この見せしめで彼はすべてのプライドをなくしてしまいます。まさに栄光から底辺の生活へ。そういう状況に立たされた彼は「キリストの十字架を見た」と言います。
やがて彼は江戸へ忍び込み、浅草の鳥越にあったフランシスコ会の病院(ハンセン病患者の施設)に潜んでいました。ところが密告者が出て彼は逮捕され、小伝馬町の牢屋敷に収容されます。政治犯の扱いで最低の待遇。やがて牢屋から殉教地の札の辻まで他の52名の殉教者たちとともにみせしめのため引き回され、火刑に処せられます。3名(デ・アンジェリス神父、ガルベス神父、歩くことのできなかった原主水)は馬に乗せられ、他の人たちは歩かされました。室町3丁目、日本橋、京橋、銀座、新橋、最後は札の辻。賑やかさの点では、今も昔も変わりません。
ある日曜日、浅草橋駅から浅草教会、鳥越神社(フランシスコ会の施設があった所)、小伝馬町の牢屋敷、室町3丁目、日本橋、京橋、銀座、新橋、札の辻のコースを歩いてみました。殉教者たちに課せられたみせしめを体感するのは感動を呼ぶものです。殉教の足跡を辿っていくと、何だか自分の十字架が軽く見えてきます。