最初の宣教活動
これまで使徒言行録が描く使徒パウロの「回心」に関する記述を読み進めながら、前回はパウロがついに異邦人への宣教活動へと派遣された場面を読み深めました。今回はともに宣教活動をおこなったバルナバとパウロについて考えたいと思います。
すでに述べたように、使徒言行録によれば、バルナバが「サウロを捜しにタルソスに行き、彼を捜しあてて、アンティオキアに連れ帰」(使徒言行録11・25-26)りました。こうして、パウロは再び表舞台に登場します。バルナバは、その意味でパウロにとっては恩人です。
実際に、パウロがキリストに出会ってすぐにダマスコからエルサレムに戻った時も、パウロはエルサレムの「弟子たちの仲間に加わろうと努め」(9・26)ましたが、「みなは彼を弟子であると信じないでサウロを恐れ」(同)、パウロを受け入れようとはしませんでした。それまでパウロがしてきたことを考えれば、当然の反応であったと言えるでしょう。ところが、「バルナバは、サウロを連れて、使徒たちの所へ行き、サウロがダマスコへ行く途中、主を見たこと、主が彼に話しかけられたこと、ダマスコでイエスの名によって大胆に物語」(9・27)ったのです。そこで、「サウロは、彼らとともにあり、エルサレムを自由に歩き回り、主の名によって大胆に語」(9・28)ることができるようになりました。
さて、聖霊の勧めにしたがって、アンティオキア教会から2人が宣教に派遣された時、使徒言行録は2人のことを「バルナバとサウロ」(13・2)という順番で記します。宣教活動の中でもこの順番です。ところが、この宣教活動の途中から、「パウロとバルナバ」(例えば、13・46、14・50など)と記されることが多くなります。13・13では、「パウロとその一行は……」と記されていて、バルナバの名前は記されていません。もちろん、こうした「表記」や「順番」を解釈する際には慎重さが求められますが、2人の関係の何らかの変化を示唆しているのかもしれません。
パウロとバルナバの激しい議論
いずれにしても、こうした歩みをたどってきた2人は、エルサレムの教会会議において異邦人への宣教活動において異邦人たちに割礼を義務づけないことが公式に決められた後、再び宣教活動に旅立とうとします。この宣教活動の目的は、これまで2人が主の言葉を宣べ伝えた町々に行き、状況を確認することでした。「わたしたちがかつて主の言葉を宣べ伝えた町々に引き返していき、兄弟たちを訪ねて、みながどうしているかを見て来ようではないか」(15・36)。2人とも宣教活動への思いでは一致していたようです。しかし、ここで2人の間に「衝突」が起きてしまいます。
バルナバは、「マルコと呼ばれるヨハネもともに連れていこうと思ってい」(15・37)ました。この人物は、最初の宣教の時に途中で一行を離れ、引き返してしまった人物です(13・13)。しかし、パウロは、「パンフィリアで自分たち一行から離れて、ともに宣教に赴かなかったような者は、連れていくべきではないと考え」(15・38)ました。使徒言行録は、「そのため、二人の間で激しく議論が交わされた。遂に別れ別れになった」(15・39)と記しています。
宣教への思いは同じなのに、パウロとバルナバはともに行動することができない。この事実をどのように受け止めたらよいのでしょうか。このことは、現実の中で、しかもさまざまな人とともに、神のみ心を生き、福音を宣教する中でその深遠さを見つめるようにとの招きだと、わたしには思えるのです。パウロもバルナバも間違っているわけではありません。パウロは、主の言葉とそれを宣べ伝えることの重み、責任を強く感じているのでしょう。だから、この責任を軽々しく放棄するような人物を宣教の同行者にすることはふさわしくないと判断したのだと思います。一方で、バルナバは一度失敗した人でも信頼し、受け入れ、登用していこうとする人物です。だから、その前の宣教旅行の途中で離れてしまった「マルコと呼ばれるヨハネ」をあえて連れていくことこそ、神のみ心だと判断したのでしょう。しかも、バルナバがこのような人物だったからこそ、彼は迫害者パウロをいち早く受け入れ、またパウロをタルソスの町に捜しに行き、アンティオキアに連れてきたのです。
神のみ心は広くて、深くて、あふれるほどに豊かです。教会は、それをすぐに具体的に識別することはできません。それは、この直前のエルサレムにおける教会会議でも示されています。パウロとバルナバが激しく議論したのも、単なる「言い争い」なのではなく、神のみ心を捜し求め、その具体的な実現方法を探っての議論だったのであり、別れ別れに行動するという決断だったのだろうと、わたしは思います。そのためには、神のみ心に向き合う真摯な姿勢、相手の主張を聞く態度、その中で自分が感じた神のみ心を大胆に述べる勇気よ相手に対する信頼、忍耐強く話し合う歩み、そして具体的な決断とそれを互いに受け入れる姿勢が必要になってくるのでしょう。今も教会はこの歩みを続けています。そして、教皇フランシスコはこれを「シノドス的な歩み」と表現しているのではないかと思います。