わたしたちは、使徒言行録を読み進めながら、使徒としてのパウロの歩みを見つめています。パウロの歩みも大変だったのであり、その意味ではわたしたちと同じなのだということを感じます。これまで見てきたように、パウロはキリストに出会い、回心をして、熱心な使徒へと変えられはしましたが、神のなさり方は「恵み」という一言で受け入れられるものではなく、一人の人間としては受け入れがたい歩みの中で進められたものです。「回心」、「信仰を生きる」、「み心に従う」、「福音を宣べ伝える」とはそういうことなのだと思います。
パウロは、回心の後、故郷のタルソスに隠れ住んでいました、いや、そうすることを神に強いられました。その中で、バルナバがタルソスにパウロを捜しに行き、アンティオキアの教会に連れていきました。その後、使徒言行録は次のように記しています。「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデとともに育ったマナエン、そしてサウロなどの預言者や教師たちがいた」(使徒言行録13・1)。パウロは最後に挙げられています。使徒言行録は続けて記します。「彼らが主に対する礼拝を行い、断食をしていると、聖霊が、『わたしが二人のために決めておいた仕事を果たすために、バルナバとサウロをわたしのものとして聖別しなさい』と仰せになった。そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから、送り出した」(13・2-3)。
さて、皆さんはどう思われるでしょうか。自分がパウロの立場であったらどのように受け止めたでしょうか。わたしだったら、間違いなくとまどうと思うのです。信仰はそこそこ持っているつもりです。しかし、パウロはアンティオキア教会の奉仕者ではあったでしょうが、リストからすれば、つまり派遣の時点での「序列」からすれば最後なのです。バルナバが最初に挙げられているのとは大きな差です。「なぜ、自分がバルナバとともに選ばれるのか」、「自分に何ができるのか」……。教会における人間関係、これまで見てきたようなパウロがしてきたことへの反発……。パウロがこの務めを受け入れるうえで障害となったことは山ほどあったと思うのです。
これはわたしたちにとっても同じです。わたしたちは、この時のパウロの受諾を自分のものにできるのだろうか。神が、いきなりとんでもないことを自分にゆだねてくださった時にわたしは受け入れられるのだろうか。真摯に見つめていきたいと思うのです。
月刊澤田神父