私の友人が、東京駅で心肺停止になって倒れ生命の危険に陥った人を助けたことで、東京消防庁から感謝状をいただきました。きっと、そこには何人もの人がいたでしょうが、異変に気づき行動を起こしたのはその友人だったのです。もし気づかなかったら、その人の命が途絶えていたかも知れません。
きょうのみことばは、善いサマリア人の喩えの場面です。律法の専門家が立ち上がって、「先生、どうすれば、永遠の命を得ることができますか」とイエス様を試みようと質問します。
彼の質問は、他の共観福音書(マタイ22・36、マルコ12・28)でも出てきていますが、彼ら律法の専門家の中でもいつも研究の対象になっていたようです。ルカ以外のマタイやマルコは、直接イエス様が申命記の6章の最初の部分を用いられ答えられます。しかし、ルカでは、イエス様が質問した本人に「律法には何と書いてあるか。あなたはどう読んでいるのか」と逆に質問されています。
このイエス様の質問で彼は、自分が研究していたことを振り返ったことでしょう。そして、彼は「心を尽くし、精神をつくし、力をつくし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛せよ。また、隣人をあなた自身のように愛せよ」と答えます。彼が答えた律法は、ユダヤ人たちが子どもの頃から唱えていたもので、この文言を書かれた羊皮紙を「メズーザー」と言われる容器に入れ、戸口や部屋のドアにつけて、入る都度に触って祈りを唱えているようです。ですから、ユダヤ人にとってこの教えは、身近なものですし、何度も繰り返し唱えていたものだったのです。私たちにとっては、「主の祈り」や「マリアの祈り」と言ってもいいでしょう。
彼の答えを聞かれたイエス様は、「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、生きるであろう」と言われます。イエス様は、彼が答えたこの箇所が最も大切であることを言われ、さらに、「それを実行しなさい」と言われます。ユダヤ人の律法は、613もあって宗教的なことから日常生活の細部にわたって細かい決まりがあったようです
彼は、律法の専門家ですから全ての律法に対して熟知し、特に申命記の6章は、常日頃から唱えていたので、彼にとってもその律法を身近に感じ、頭の中にすり混まれていたのではないでしょうか。しかし、残念なことに彼は、この教えを生活に落とし込んでいなかったのです。イエス様は、【永遠の命】を得るためには、頭で考えるだけではなく【実行】しなさいと教えておられるようです。イエス様は、「あなたはどう読んでいるのか」と彼に質問したのは、知識だけではなく、生活を含めて律法をどう読んでいるのかと振り返る場を与えられたのではないでしょうか。
イエス様の教えは、「おん父を愛すること。そして、隣人を自分自身のように愛すること」だったのです。もちろん、イエス様は新しい掟として「わたしが愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・43)と教えられます。人を愛することは、知識でいくら分かっていても【実行】に移さないと本当の教えとならないのです。
律法の専門家は、イエス様から「それを実行しなさい」と言われて、自分が研究に没頭していて、実際に実行していなかったことに気づいたのでしょう。しかし、彼は自分を正当化しようとして「わたしの隣人とは誰ですか」とイエス様に質問をします。イエス様は、彼の質問に答えるために『善いサマリア人』の譬え話をされます。この譬え話の中には、「祭司」「レビ人」そして「サマリア人」の3人が登場します。祭司もレビ人も神殿で祭儀を司る人たちでした。しかし、彼らは強盗に襲われた人を助けないばかりか、道の向こう側を通って彼を見捨てて去っていきます。彼らは、半殺しにされて、このまま放ってしまえば死んでしまうかも知れない人に対して、見て見ぬふりをしたのです。
しかし、サマリア人は、倒れた人に気づき、憐れに思い、近寄って介抱し宿屋まで連れていき、お金を払って宿屋の主人に託します。イエス様は、この譬え話をした後に、律法の専門家に「あなたは、この3人のうち、強盗に襲われた人に対して、隣人になったのは、誰だと思うか」と質問されます。ここでもまた、イエス様は、彼が自分を振り返るように投げかけられます。イエス様は、彼に対してまず、気づくこと、そしてそれを【実行】することを教えようとされたのではないでしょうか。
イエス様は、弱く傷ついた私たちに【気づかれ】、【憐れ】に思われ、介抱してくださるお方です。私たちにとってイエス様だけが【隣人】なのです。イエス様は、「では、行って、あなたも同じようにしなさい」と言われます。私たちは、どうしても「【隣人】を探し、その人を愛さなければ」と外に目を向けてしまいますが、そうではなく「私がイエス様(隣人)と共に周りの人の隣人になること」が大切なのではないでしょうか。私たちは、日常の生活中の小さな変化に気づき、隣人として【実行】に移す感覚に目覚めていくことができたらいいですね。