オリゲネスはヨハネ福音書を聖書全体の「初穂」、つまり最高の作品と評価していますが、そのヨハネ福音を読むにあたっての心構えを、次のように述べている。
「その精神(ヌース)は、イエスの胸によりかかった者、母としてマリアをイエスが与えた者でなければ理解できません。そして、もう一人のヨハネになるために、ヨハネの場合と同様に、[その人]自身がイエスであるとイエスから言われねばなりません」。「この『福音』を正確に理解するためには、まことに、こう言い切れねばなりません。『神からいただいた恵みを知るために、私たちは『キリストの精神(ヌース)を持っています』(1コリ四・一六)と」。
ここにオリゲネスの聖書に対する姿勢をみることができます。彼はしばしば「私のイエス」と呼んでいるが、このイエスとの親しい交わり、イエスの胸によりかかった主に愛された弟子であるヨハネの精神をもって、あるいはエマオへの道すがら復活したイエスから聖書を説明され心が燃え立った弟子の心をもって(ルカ二四・三二参照)、あるいは「私は愛の痛手を負っています」(雅二・五)という花嫁の愛をもって、聖書の言葉を理解しようとするのです。