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これってどんな種?

神の愛の伝達という種 三位一体の主日(ヨハネ16・12〜15)

 私は、ご高齢の神父様がミサを行うときに、神父様に代わってご聖体の拝授をしています。まず私が、神父様から聖体を頂いた後に「キリストのおん体」と言って聖体を皆さんに授けています。その時、「この聖体を渡しているのは、自分ではなく私の中におられるイエス様なのだ」と思う感覚に気づきました。もし、私が「聖体を授けている」と思ってしまうと、大変な傲慢の罪を犯してしまうことになるでしょう。イエス様が私を通して、ご聖体を授けてくださっているから聖体を頂いた方の中で豊かなお恵みが得られるのではないでしょうか。

 きょうのみことばは、「最後の晩餐」の中で、イエス様が弟子たちにこれからご自分に代わって【聖霊】が導いてくださることを教えている場面です。きょうのみことばの少し前にイエス様は「これらのことを、初めから言わなかったのは、わたしがあなた方とともにいたからである。しかし、今、わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが」(ヨハネ16・4b〜5)と言われ、ご自分がいなくなることを弟子たちに再度伝えられます。

 きょうのみことばの初めは、「わたしにはまだたくさんあなた方に言いたいことがあるが、今、あなた方はそれに耐えることができない」と言われ、イエス様が、弟子たちと一緒にいる時間を惜しまれ、もっとたくさんのことを伝えておきたいという心からの願いを伝えておられます。しかし、弟子たちは、イエス様が自分たちのもとからいなくなるという悲しみが一杯でイエス様の言葉が理解できないでいたのです。

 それで、イエス様は、「しかし、真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなた方を導いてくださる」と言われます。イエス様が言われた「あらゆる面で」という言葉は、イエス様が弟子たちと過ごされた中で、教えられ、体験させたものだけでなくおん父の愛の全てが含まれているのではないでしょうか。その他にもイエス様は、「その方がおいでになれば、罪について、義について、また、裁きについて、世の謝りを、明らかにしてくださるであろう」(ヨハネ16・8)と言われています。聖霊は、イエス様がこれまでなさってきたこと、そして、私たちが陥りやすい罪への傾きから遠ざけようとされるのです。

 イエス様は、たびたび【真理】という言葉を使われます。代表的なものは、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)ですが、もう一つピラトに言われた「わたしは、真理について証しするために生まれ、また、そのために世に来た」(ヨハネ18・37)という箇所です。真理の霊である聖霊は、イエス様の全てと、おん父の全てを私たちに伝えてくださり、【導いて】くださるお方と言ってもいいのではないでしょうか。

 イエス様は「その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、起ころうとしていることを、あなた方に告げてくださるからである」と言われます。聖霊は、ご自分の意見や考えを語られるのではなくおん父とイエス様のことを語られ、イエス様が「まだたくさんあなた方に言いたいことがある」と言われた、【たくさん】のことを私たちに伝え、導いてくださるお方なのです。

 聖霊は、起ころうとしていることを伝えてくださるお方です。このことは、私たちに【未来】について予言するような伝え方ではありません。聖霊は、イエス様の受難と復活の神秘を伝えてくださいます。弟子たちは、イエス様が自分たちの所からいなくなっても【使徒】として福音を伝えなければなりません。そのために、【聖霊】は、弟子たちにイエス様の【受難と復活】の神秘を伝えるのです。

 イエス様は、「その方はわたしに栄光をお与えになる。わたしのものを受けて、あなた方に告げ知らせるからである」と言われます。このことは、私たち一人ひとりに対してのメッセージなのではないでしょうか。聖霊は、私たちが今の時代でみことばを伝える使命を忠実に果たすために必要なことを告げてくださるお方と言ってもいいでしょう。イエス様が弟子たちに伝えられなかった【たくさん】のことを、イエス様に代わって私たちに伝えてくださいます。私たちは、その聖霊の言葉に耳を傾けることが大切になってきます。聖霊は、いつも私たちの傍におられ、イエス様のことを語られておられます。しかし、私たちが自分のことでいっぱいで聖霊の声に気づかない時、私たちは、その豊かな恵みを無駄にしてしまう危険性があります。私たちは、いつも聖霊の声を聞くことができるような【心】の状態であり続けるように祈りたいものです。

 イエス様は、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、その方がわたしのものを受け、あなた方に告げ知らせてくださると、わたしは言ったのである」と言われます。ここに、【三位一体の神】の【アガペの愛】の伝達があるのではないでしょうか。そして、私たちは、その【アガペの愛】を【三位一体の神】から何の見返りもなく頂いています。【三位一体の神】は、遠い方でも近寄り難い方でもなく、私たちのすぐ傍におられるほど身近なお方なのです。今度は、私たちがこの豊かな恵みを【私が】ではなく、【三位一体の神】を通して周りの人に伝えることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 今を生きるという種 年間第33主日(マルコ13・24〜32)

  2. 僅かな献金という種 年間第32主日(マルコ12・38〜44)

  3. 愛なしにはという種 年間第31主日(マルコ12・28b〜34)

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